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【18.06.01】 「働き方改革」一括法案 衆院通過

命奪う法案廃案に追い込もう

「働き方改革」一括法案が衆院本会議で、自民、公明などの賛成多数で可決されました。
法案の根拠となった労働時間調査で新たな疑念が発覚するとともに、労働時間規制を撤廃する制度の導入により過労死を促進させる法案の危険性がますます浮き彫りになっています。
国民の批判や不安にこたえることなく厚生労働委員会の質疑を打ち切り、数の力で採決を急いだ政府・与党の姿勢は重大です。働く者の命にかかわる法案を力ずくで推進することは、まさに国民無視です。参院で廃案に追い込むため、世論と運動を広げに広げることが急務です。
なにより法案の大前提に根本的な疑義が突き付けられています。法案づくりの「出発点」となった「労働時間等総合実態調査」は、2月に裁量労働制の拡大をめぐるデータが捏造されていたことが発覚し、大問題になったものです。
衆院審議では、働く者の命と健康を危険にさらす法案の重大な中身が次々とあらわになっています。その最たるものが、「高度プロフェッショナル制度」(「残業代ゼロ制度」)です。労働時間規制を全面的に適用除外にする同制度は、週休2日にあたる年104日の休みさえ与えれば、24時間労働を48日間連続させても違法にならない、とんでもない仕組みです。
安倍首相は「自律的に働ける」制度と美化しますが、労働者に裁量を与える規定もなく、業務命令を拒否することができません。「健康確保措置」についても抜け穴だらけなのが実態です。「時間でなく成果で評価されたい人」に利点があるという宣伝も、成果と賃金を結びつける法的根拠はなく、破綻しています。歯止めのない長時間労働をまん延させ、過労死を促進する法案は到底認められません。
8本の法律を一括法案として提出し、審議しろということ自体が異常です。多くの論点が山積する法案を「成立ありき」でごり押しすることを許さず、徹底審議で廃案にする以外にありません。

「働き方改革」一括法案への日本共産党高橋議員の反対討論

まず8本の法案を一くくりにし、与党による強引な委員会運営と強行採決がされたことに、満身の怒りを込めて抗議します。25日の委員会も、過労死家族の会のみなさんが遺影を抱きながら傍聴していました。4年前、過労死防止法を全会一致で採択し、うれし涙を流した同じ委員会室で、怒りと悔しさに涙を浮かべていました。最愛の家族を奪われたみなさんが絶対にやめてほしいといっている、その一点だけでも本法案は認められません。
裁量労働制のデータ捏造が発覚したことにより、該当データは撤回され、企画業務型裁量労働制の拡大は法案から削除されました。驚くことに、昨日の委員会でもまた、補正したはずの数字にもとづく資料が転記ミスで修正されていなかったなどの報告がありました。一方、労政審での審議の土台になった資料にも影響があります。特別条項付き三六協定を結んだ事業場のうち、実際の残業時間が1000時間超だった事業場が3・9%から48・5%にも激増したのです。それでも労政審に報告する必要はないと居直る厚労省は、命にかかわるデータをなんと思っているのでしょうか。
反対の最大の理由は、残業代ゼロ制度を導入し、過労死ラインを合法化することです。
高度プロフェッショナル制度は初めて労働時間規制を適用しない労働者をつくりだします。年104日さえ休ませれば、48日間かつ24時間連続勤務でも違法にならず、業務量には裁量がなく、長時間労働に追い込まれることは明らかです。
加藤厚労相は、労働者のニーズは12名のヒアリング以外に示せず、むしろ深夜手当を出したくない使用者側のニーズの代弁に終始したのです。
単月100時間未満、複数月平均80時間という過労死ラインまでの残業は絶対に認められません。しかも、最も過労死の多い分野で上限規制の除外・猶予などありえません。月をまたいで業務が集中すれば、30日間で150時間の残業もあり得るというのでは、過労死はなくなるどころか、増えるばかりではありませんか。
「同一労働同一賃金」は、法案に文言すらありません。「人材活用の仕組み」を理由に、正社員との違いを合理的とする基本的内容は変わらないため、均等待遇の対象となるパートタイム労働者は1・5%にとどまり、有期労働者や派遣労働者についても極めて限定されます。これでは非正規労働者の格差固定化というべきです。
雇用対策法は、憲法27条の勤労権を保障し「完全雇用の達成をめざす」ものですが、「生産性の向上」が目的の中心に据えられ、「多様な就業形態」の名目で労働者保護法制が適用されない非雇用型の働き方を増やすもので、極めて重大です。
最後に、労働法制を「打破すべき岩盤規制」だとして産業競争力会議や規制改革会議などが決めた方針を、厚労省の頭越しに労政審に押し付ける極めて異常な安倍政権に、「働き方改革」などと語る資格はありません。
労働基準法は、第1条にあるように、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすものでなければなりません。戦後の帝国議会で、民間の自由契約だけにまかせていては労働者の健康を守れないとして、国家が最低限の基準を示すべきとされたのです。歴史を70年後戻りさせる大改悪であると指摘し、反対討論とします。

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