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【17.09.14】 柏崎刈羽原発 東電の適格性容認

国民の声 置き去りに (しんぶん赤旗1面のトップ記事)

柏崎刈羽 東電の適格性容認 規制委が“お墨付き”福島事故究明も不十分なまま 国民の声 置き去りに

原子力規制委員会は13日、福島第1原発事故を起こした東京電力について、柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)を運転する適格性(資格)について、「技術的能力がないとする理由はない」と容認する確認結果を大筋で了承しました。適格性がないと考える多くの国民の声を置き去りにしたものです。
福島原発事故は収束せず、原因究明も不十分、賠償や廃炉の見通しもないなど事故処理がなんら解決されない状況で、事故当事者の東電にお墨付きを与える規制委の判断に批判は必至です。
この問題で規制委の対応に道理がないことが明らかになっています。7月、東電の小早川智明社長らを呼んで福島第1原発の廃炉に向けた対応などについて面談。東電に対し汚染水の処理など具体的な問題で「主体性がない」などと厳しく批判していました。東電は8月25日に、規制委に「廃炉をやり遂げる覚悟」などと抽象的な文言を並べただけで、具体的な課題での言及がない回答文書を提出。ところが規制委はその後の定例会合で、「適格性を否定する状況にない」などと姿勢を一変しました。
13日の定例会合で、規制委の事務局である規制庁は、保安規定に東電の回答文書を記載すれば、法的にその実効性を担保できると説明。規制委は、近く東電の小早川社長を呼び、それについて異議がないかを確認するとしています。また、東電の筆頭株主である国が、回答文書の内容に異論はないかを経済産業相に確認するとしています。
一方、新規制基準の審査書案にかかわる技術的な適合性は、東電社長の意思を確認した以降、議論する方向です。

3紙が原子力規制委員会を批判

1、朝日社説 「東電と原発 規制委の容認は尚早だ」 
 福島第一原発事故を起こした東京電力に、原発を動かす資格はあるのか。
原子力規制委員会が、柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)の再稼働への審査で、安全文化が社内に根付いているかなど「適格性」を条件付きで認めた。
「経済性より安全性追求を優先する」などと東電社長が表明した決意を原発の保安規定に盛り込み、重大な違反があれば運転停止や許可の取り消しもできるようにするという。
しかし、今後のチェック体制を整えることと、現状を評価することは全く別の話だ。適格性を十分確認したとは言えないのに、なぜ結論を急ぐのか。近く5年の任期を終える田中俊一委員長に、自身の任期中に決着をつけたいとの思いがあるのか。
規制委の姿勢には前のめり感が否めない。今回の判断は時期尚早である。
安全文化は「過信」から「慢心」、「無視」「危険」「崩壊」へと5段階で劣化していくが、福島の事故前から原発のトラブル隠しやデータ改ざんで既に「崩壊」していた。東電は2013年、事故をそう総括した。改善に向けて、社外のメンバーをまじえた委員会に定期的に報告する態勢を整え、成果を誇る自己評価書も公表済みだ。
ところが、第一原発事故で当時の社長が「炉心溶融」の言葉を使わないよう指示していたことは、昨年まで明るみに出なかった。柏崎刈羽原発では、重要施設の耐震性不足を行政に報告していなかったことが発覚。今年8月、第一原発の地下水くみ上げで水位低下の警報が鳴った際は公表が大幅に遅れ、規制委は「都合の悪い部分を隠し、人をだまそうとしているとしか思えない」と厳しく批判した。
それなのに、規制委はなぜ、適格性について「ないとする理由はない」と判断したのか。
福島の事故後、日本の原発について、事業者も規制当局も設備などのハード面に関心が偏っているとの指摘が内外から相次いだ。安全文化の醸成と定着へ組織運営や職員の意識を改めていくソフト面の取り組みは、東電以外の事業者にも共通する課題であり、事故後の新規制基準でも不十分なままだ。
規制委にとって、適格性の審査は新しい取り組みだ。専門のチームで検討を始めたのは今年7月で、年内に中間まとめを出す予定という。
まずは適格性に関する指針を固める。その上で、個々の原発の再稼働審査にあてはめ、安全文化を徹底させる。それが、規制委が踏むべき手順である。

2、毎日社説 「東京電力の原発再稼働 決意表明だけで「適格」か」 
原子力規制委員会が柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)の安全審査を巡り、東京電力に原発を運転する適格性があると条件付きで認めた。
技術的な審査はほぼ終わっており、近く新規制基準に適合したことを示す審査書案も公表する。
だが、審査経過を見ると、適格性があるとの判断は根拠が薄弱で、説得力を欠くと言わざるを得ない。
規制委が踏み込んだ適格性の審査は、新規制基準に明確な規定がない異例の措置だった。「福島第1原発事故を起こした東電と他の電力会社とは違う」(田中俊一委員長)との判断からで、東電に追加的な高い対応を求めたことは理解できる。
規制委は今年7月、小早川智明社長ら新経営陣を呼んだ。田中委員長は「福島の廃炉をやりきる覚悟と実績を示すことができなければ原発を運転する資格はない」と迫り、福島第1原発の汚染水対策などに主体的に取り組むよう求めた。
これに対し東電は先月、社長名で規制委に文書を提出した。「主体的に関係者に向き合い、廃炉をやり遂げる」「福島の廃炉と柏崎刈羽の安全性向上を両立する」。東電の決意は書かれていたが、具体的な汚染水対策などは示されないままだった。
ところが田中委員長らは、これをあっさり受け入れた。事業者が順守義務を負う原発の保安規定に、決意表明の内容を書き込ませることで、実効性を確保するという。
しかし、廃炉や安全対策に取り組む姿勢を評価する明確な基準はない。主観的な決意を保安規定に書き込んだとしても、事業者の姿勢をどれだけ縛れるのか、疑問がある。
そもそも今回の審査では、事故対応の拠点となる免震重要棟の耐震性不足を規制委に報告していなかったことが発覚するなど、東電の適格性を疑わせる事態が相次いでいた。
新潟県の米山隆一知事は福島第1原発事故の検証を優先する方針を示しており、審査に合格しても柏崎刈羽原発の再稼働は見通せない状況にある。にもかかわらず、規制委は結論をなぜ急ぐのだろうか。
田中委員長は今月で退任する。退任直前の駆け込み容認と取られても仕方がなかろう。このままでは、原子力規制行政に対する、国民の信頼感は低下するばかりだ。

3、中日社説 「原子力規制委 信頼なくして安心なし」 
廃炉、汚染水、補償…。福島の事故を収束できない東京電力に、原発を動かす資格があるのだろうか−。原子力規制委員会の評価がぶれている。規制委が信用を失えば、私たちは安心を得られない。
東京電力福島第一原発の事故の後、国内の全原発が停止した。
2年近くに及ぶ“原発ゼロ”の時を経て、これまでに三原発5基が、3・11後の新たな規制基準に「適合」するとした原子力規制委員会の判断に基づいて、再稼働に至っている。
規制委の審査は、例えば重大事故時の広域避難計画の是非などには及んでおらず、何より規制委員長自身が「安全を保証するものではない」とはっきり述べている。
なのに、国も立地自治体も、あたかも安全の“合格証”であるかのような空気を醸成し、お互いに責任をなすりつけ合いながら、再稼働を見過ごし続けている。今この国の原発はほかでもない、“空気”に動かされているのである。
しかし、さすがに柏崎刈羽、東電の原発だけは、例外かと思われた。規制基準による通常の技術的審査だけではなく、原発を扱う事業者としての東電の「適格性」にも踏み込むという、従来にない審査姿勢で臨んだはずだった。
そのために7月、規制委は東電経営陣を呼んで意見を聴いた。
田中俊一委員長は「福島の廃炉をやりきる覚悟と実績を示すことができなければ、運転する資格はない」と厳しく断じていた。
大方の国民感情や、「福島の事故の検証と総括が先」とする、新潟県の米山隆一知事のスタンスにも沿うものではなかったか。
循環冷却系の設置など技術面での配慮はある。だが事故原因は未解明。賠償のめども立っていない。ところが8月に入って「廃炉をやり遂げる」とする東電社長名の文書が出るや、任期切れを控えた田中委員長は一転軟化。「適格性を否定できる状況ではない」と議論をまとめようとした。
このような“心変わり”に批判が出たが、結局は適格性も認めるようだ。
基準を守るべき規制委自体が、ぶれている。
規制委は、3・11に対する反省の象徴だった。何より大切にすべきは、住民の命、国民の安心ではなかったか。規制委が迷走していては、私たちは何を信じていいのかわからない。規制委への信頼なくして安心はありえない。
具体的覚悟と実績の上に立つ、適正な判断を求め続けたい。

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