活動日誌−活動日誌

【16.02.17】 鞆の浦 景観を破壊する鞆港埋め立て・架橋計画をめぐる裁判、県が埋め立て免許認可の申請を取り下げ

赤旗 鞆の浦埋め立て撤回 広島県 「住民勝訴」で裁判終結

広島県福山市鞆(とも)町の景勝地「鞆の浦」の景観を破壊する鞆港埋め立て・架橋計画をめぐる裁判は15日、広島高裁で、被告の県が埋め立て免許認可の申請を取り下げ、地元住民も訴えを取り下げ、終結しました。
この裁判は、地元住民163人が2007年4月に提訴。一審の広島地裁は2009年10月、「鞆の景観は国民の財産」として免許差し止めを命じました。県は控訴しましたが、その後に就任した湯崎英彦知事が住民協議会で議論を重ねて2012年6月、計画の撤回を表明していました。県の計画は1983年の策定から32年余りを経て、終止符が打たれました。
この日、原告側の報告集会には約50人が参加し、水野武夫弁護団長は「住民側の全面勝訴だ」と解説。原告団の松居秀子事務局長は「裁判の終結に安堵することなく、今後とも地裁判決をふまえて鞆の浦の文化的、歴史的景観を維持・発展させるための運動を継続していく」との声明文を読み上げました。

読売 鞆の浦埋め立て訴訟、事業中止で訴え取り下げ

広島県福山市の景勝地「鞆(とも)の浦」の埋め立て・架橋事業を巡る訴訟の控訴審の口頭弁論が15日、広島高裁で開かれ、原告の住民側が、埋め立て免許権者の県に免許交付の差し止めを求めた訴えを取り下げた。
県は同日、免許申請の取り下げ手続きを行った。
1983年に計画が策定された同事業は、渋滞解消などを目的に鞆港沿岸の約2ヘクタールを埋め立て、海上にバイパス橋(約180メートル)を架ける内容。事業に反対する住民らが2007年4月、県を相手取って提訴し、広島地裁が09年10月、住民勝訴の判決を言い渡した。県は控訴したが、判決後に就任した湯崎英彦知事が12年、事業の中止を表明した。

朝日 「鞆の浦」埋め立て計画、広島県が正式断念

瀬戸内海の景勝地「鞆(とも)の浦」(広島県福山市)の埋め立てと架橋建設計画について、広島県は正式に断念することを決めた。地元住民らが埋め立て免許を県と福山市へ交付しないように県知事に求めた訴訟の進行協議が15日に広島高裁(野々上友之裁判長)であり、県側が免許申請を取り下げる方針を住民側に伝えた。これを受け、住民側は訴えを取り下げた。約9年続いた訴訟が終結した。
1983年に策定され、「景観保護」と「利便性」をめぐる論争が巻き起こった計画にピリオドが打たれる。
広島県は83年、交通混雑の解消などを目的に計画の原案を策定した。計画は約55億円をかけて(1)江戸期の港湾施設の常夜灯などが残る「鞆港(ともこう)」の浜を約2ヘクタール埋め立てる(2)港内を横断する長さ約180メートルの橋を架ける(3)駐車場やフェリーの埠頭(ふとう)を造る――とされた。これに対し、住民らが2007年に「景観が大きく損なわれる」として提訴した。
鞆の浦はアニメ映画「崖の上のポニョ」(宮崎駿(はやお)監督)の舞台としても知られており、司法の判断が注目される中、09年10月の一審・広島地裁判決は住民側の主張を全面的に認定。「鞆の浦の景観は住民の利益だけではなく、瀬戸内海の美観を構成し、文化的・歴史的価値を持つ『国民の財産というべき公益』」とし、埋め立て免許を交付しないよう広島県知事に命じた。
この判決後に就任した湯崎英彦知事は12年6月に計画の撤回を表明したが、福山市や推進派の住民からは反発の声が上がった。免許の申請は取り下げられないまま、控訴審の広島高裁は15年5月、訴訟の終結案を提案。住民側の訴えと県側の免許申請を双方同時に取り下げることによる決着をめざしていた。(雨宮徹)

〈鞆の浦〉 瀬戸内海の北側沿岸のほぼ中央に位置し、平安時代から港町があったとされる。万葉集にも登場し、円形の港湾や中世〜江戸期の街並みや歴史的建築物が数多く残る。広島県知事は2008年6月、埋め立て免許の交付に必要な国土交通相の認可を申請したが、当時の国交相は慎重姿勢を示し、手続きは事実上停止している。県は埋め立て・架橋計画を撤回した場合、県道拡幅で交通混雑を解消▽砂浜の一部に管理道路が付いた護岸施設を設ける――とする代替案を示している。

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