活動日誌−活動日誌

【15.08.13】 今日の中日社説(立憲主義を守りぬく)から

「立憲」と「非立憲=絶対」の対立、私たちの未来を変える重大な岐路

 近代憲法は、権力を暴走させないために、立憲主義という装置を持った。
 戦前は軍国主義がそれを破壊した。
 「立憲主義の地霊が現れたかのようだ」地霊とは美濃部達吉の立憲主義による憲法学を指す。「天皇機関説」で知られた戦前の学者だ。国家を法人としてとらえ、それぞれの機関の意思を最終的に決定する最高機関を天皇とする学説である。「美濃部先生は徹底的な合理主義、知性主義です。この立憲主義憲法学では、大衆の情熱と献身を国家に調達することができません。天皇機関説が描き出す無色透明な国家公共では、戦争の時代を乗り切る力が出てこないのです」
 命知らずの軍隊をつくるには、天皇を中心とした秩序である「国体」が大事だった。戦前の日本が神国思想や皇国史観などを国民に植え付けたのもそのためだ。天皇を憲法の下に置く機関説は、許せぬ存在だったに違いない。
 明治憲法も立憲主義を採用していたが、強大化した軍国主義がそのブレーキ装置をはずして、亡国へと進んだのだ。天皇機関説事件から敗戦まで、わずか10年という短さである。
 この事件は時代が転換するときの象徴的な出来事の一つであろうと思う。立憲主義と絶対主義が対立した場面だった。「立憲」と「非立憲」の対立でもあった。

 あれから80年、再び立憲主義が崖っぷちに立つ。
 これまで集団的自衛権の行使を認めてこなかった政府が昨年7月、一転して「容認」と閣議決定したからだ。「解釈改憲」である。憲法の範囲内でしか政治は行えないのに、その枠を踏み越えてしまった。
 さらに現在、安全保障法制関連法案の成立を図っている。専守防衛とは質が全く異なる。これを認めれば、憲法9条との整合性の糸が途切れてしまう。本紙アンケートでも90%超の憲法学者が「違憲」と回答した。歴代の内閣法制局長官も「違憲」と国会で述べた。立憲主義からの逸脱なのだ。

 もう一つの重大な事象がある。「公」と「私」を切り分けていた壁が崩れてしまったことだ。
戦前は「公」の場で神道式の儀礼と天皇崇拝が求められていたが、「私」の空間では何を信じても自由なはずだった。ところが、この事件を契機に、次第に「公」が「私」の空間に侵入し、思想統制へと結びついたのである。
 戦後は一転し、軍事的なるものを徹底的に排除して公共空間をつくった。「戦後の公共空間を維持し、演出してきたのは『表現の自由』です。しかし、『公共』として強くなりにくい弱点があります。世界観的に中立な『公共』でもあり、それに命は懸けられません。だから、強い国にしたいという人たちが『公共』の改造運動をしているのです。愛国心教育をし、郷土愛を注入し、国旗・国歌というシンボルによって、強い『公共』を演出しようとしているのです」
 現在の日本で起きているのは、「立憲」と「非立憲」の対立である。
 立憲主義を守りぬかないと、絶対主義のような世の中を迎えかねない。
 「非立憲」の跋扈(ばっこ)を許せば、公共空間の色彩も変わるだろう。
 私たちの未来を変える重大な岐路なのだ。

 安倍首相は、明日、何を語るのか。

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