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【15.08.14】 今日の毎日社説は、「不戦の原点から考える」

安倍首相の甘い言葉(「不戦の誓いと平和という『未来』を語る言葉は、政権と国民の間で既に共有されている」)に騙されてはいけないが、過去を見る視線の先にこそ、私たちの確かな未来がある。

 「国あって国民なし」があの戦争の実際の姿だった。
 満州事変から太平洋戦争に至る日本の「自爆戦争」の背景には、憲法解釈の乱用があった。軍は、天皇による統帥権が三権の枠外にあるとして神聖化した。その下で言論統制が強まった。戦争に異論を唱える人間は「非国民」として排除され、社会の自由は窒息していった。
 もう一つは、外交の失敗だ。中国侵略のあと、国際連盟脱退で世界から孤立した日本は戦線を東南アジアに拡大し、米国の対日石油禁輸で追い詰められると、真珠湾攻撃へと走った。外交努力を放棄して国際協調路線を踏み外し、米国の戦略と米中関係の大局を読み誤った。
 全ての人が自由に発言する基盤を尊重し、多様な考えが社会に生かされ、国が国民を駒として使い捨てるのではなく、国民が国の主人公である、当たり前の民主主義を持ったことが、戦後の日本の支柱だったはずだ。
 昨今、憲法を頂点とする法体系をことさら軽視し、自由な言論を抑圧するような言動が政治の世界で相次いでいる。「安全保障関連法案」を巡って「憲法守って国滅ぶでいいのか」「日本人は軍事知らず」という物言いも、しばしば耳にする。だが、かつてあったのは「憲法守って国滅ぶ」ではなく、憲法をないがしろにして戦争に突入した歴史である。「軍事知らず」ではなく「外交知らず」で、破滅に追い込まれたことを忘れてはならない。
 安倍首相は、広島での被爆者との面会で「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓い」を口にした。「安保法案」も、戦争をせず、平和を守るためと説明されている。平和と不戦の誓いを原点にしている点では、首相も、法案に反対の世論も変わりはない。不戦の誓いと平和という「未来」を語る言葉は、政権と国民の間で既に共有されているのである。
 求められるのはそれを繰り返すことではなく、「過去」を語る言葉を政権と国民が共有することだろう。
 政治指導者は、過去の侵略と過ちを認め、再びあの時代には戻さないという強いメッセージを、信頼のおける言葉と態度で、国民に向かって語る義務がある。
 日本は、二つの原爆という史上最悪の戦争被害を体験した。また、同じアジアの国々に土足で上がり込んで支配した。紛争を解決する手段として戦争がいかに愚かで、自国民も他国民も不幸にするか。被害と加害の理不尽さをどの国よりも肌で知る日本は、戦争の不条理を世界に伝え続ける、人類史的な使命がある。
 他国を侵さず、自国を侵されず、無用な戦争に加わったりしない。
 軍事に抑制的で、可能な限り平和的手段を追求する国としての誇りを持つ。
 国際情勢を広く長期的な視野で見極め、信頼醸成に基づく国際協調を大事にする。
 あの敗戦を原点とする、国民の健全な国際感覚と民主主義の土壌は、「平和ぼけ」と冷笑されるような、ひ弱なものではない。政権は国民のまっとうさに信を置き、平和国家としての道を、国民とともに自信を持って歩いていってほしい。
 戦後70年が重く迫るのは、戦後80年に向け、歴史を風化させてはならないとの思いがあるからだ。
 過去を見る視線の先にこそ、私たちの確かな未来があると信じたい。(毎日新聞社説8月14日要旨)

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