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【14.12.27】 リニア、原発に続いてドイツに学ぶべき

今日の中日新聞社説より

ドイツの決算 アフガン派兵代償高く

アフガニスタンに駐留していた国際治安支援部隊(ISAF)が年内で任務を終了する。戦後、段階的に軍事力行使を拡大してきたドイツにとって初の本格的な戦闘参加だったが、代償は高かった。
犠牲になった兵士55人、延べ派兵人数13万5000人、戦費87億ユーロ(約1兆2800億円)−アフガンでのドイツの“決算”だ。犠牲者は米軍に比べれば少ないが、海外派兵の歴史が浅いドイツ社会には大きな衝撃だ。
ドイツは2001年9月の米中枢同時テロ後、米ブッシュ前政権が求めたイラク派兵を拒否する一方、国連の承認を受け展開されたアフガンのISAFには「民主化支援と自国の安全保障」を理由に参加。比較的安定していたアフガン北部の治安維持に当たったが、旧支配勢力タリバンが攻勢を強めたため応戦し、戦闘機、戦車、落下傘部隊などでタリバン支配地域にも進攻、独戦後史上では初めてとされる攻撃的戦闘を繰り広げた。
ドイツ軍幹部が不確かな情報に基づいてISAFに要請した燃料輸送車空爆では、アフガン市民を巻き添えに100人以上が犠牲になった。「民主化支援」が現地の憎しみを招き、その憎しみにより「自国の安全保障」どころかテロの標的にもされかねなくなった。
大きな犠牲を払ったにもかかわらず、アフガンの治安はなお不安定なままだ。最近のドイツの世論調査では、派兵は「無意味だった」が半数、「ドイツの安全は確保されなかった」が6割以上を占めた。徴兵制のため社会復帰も大きな問題となり、退役後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、大学を休学した若者の手記はベストセラーにもなった。
日本と同様、敗戦国で、ナチスへの反省から軍事力行使に慎重だったドイツは、1991年の湾岸戦争では支援金を出したが、派兵はしなかった。しかし、旧ユーゴスラビア内戦に伴い、北大西洋条約機構(NATO)域外への派兵を決定、コソボ紛争では九九年、空爆にも参加し、日本とは違う道を歩みだした。
ISAFは欧米の集団安全保障の枠組みであるNATOが主導。ドイツのアフガン派兵は名実ともにNATOに一体化するため、制約を取り払い、軍事力行使の範囲を広げてきた延長線上にある。国際協調と国際貢献の名のもとに高い代償を支払ったドイツの経験。日本の集団的自衛権行使容認を考える上で、学ぶべき教訓は多い。

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