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【14.11.08】 今日の新聞各紙の社説はすべて川内原発再稼働の問題に触れている。

ちょっと長いけど、付き合ってもらえるかな?

1、【朝日】川内原発の再稼働―「ひな型」にはなり得ない

九州電力川内原発の再稼働を鹿児島県知事が受け入れた。県議会と立地自治体である薩摩川内市の市長、市議会の意見を踏まえての判断だという。周辺30キロ圏内にある8市町の首長も、最終的に異議を唱えることはしなかった。
原発再稼働の可否について立地地域に法的な権限はない。しかし、実務上は「地元の同意」が不可欠になっている。知事の判断で川内原発の再稼働はほぼ確実となった。新しい規制基準に基づいた原子力規制委員会の審査を経た再稼働は、川内原発が第一号となる。
全国では12原発18基が規制委の審査にかかっている。合格した原発はすべて再稼働するとしている安倍政権は、川内を今後のひな型と位置づける考えだ。
しかし、川内原発の再稼働を巡る手続きを振り返ると、とてもこのままでいいとは考えられない。原発の過酷事故に対する備えが不十分なまま再稼働に進んでいるからだ。
■住民の安全は不十分
まず、避難計画だ。
住民の安全に直結するものなのに、いまだに避難に必要なバスの確保や渋滞対策に見通しがつけられていない。いずれも、福島での事故の際に現場が最も混乱し、住民が危険にさらされた要因となった問題だ。
福島での事故で、原発には制御しようのない危険があり、100%の安全はないことが明らかになった。
それでも原発を動かすなら、被害を受ける立地地域の住民のリスクをできるだけ小さくする手立てを講じ、さらに十分なのか検証し、住民が納得するプロセスは欠かせない。
10月に入り、県内で住民説明会が計6回開かれたものの、5回までは規制委の専門的でむずかしい審査内容に関することに限定して開催された。住民の再稼働に対する素朴な不安や提案をすくいとり、対策に反映させる場にはならなかった。
参加者への事後アンケートでも「良くなかった」「あまり良くなかった」が47%に達し、6割の人が説明を受けても理解できなかった項目が一つ以上あったと答えている。
県知事をはじめ首長や議会が最後は「(安全対策や住民避難も)国の責任」とした。県や市町村など地元自治体が再稼働の手続きに絡むのは、住民の安全が関係しているからだ。
その国の対応も同様だった。県の要請を受けて、政府職員や幹部を送り込み、議会の場などで繰り返し「国が責任をもつ」と表明した。今月3日には宮沢経産相も乗り込んで、再稼働の必要性を訴えた。
■「責任をもつ」とは
だが「責任をもつ」とはどういうことなのか。具体的には何も見えてこない。
事故が起きた福島のその後を見ても、被災者の生活再建、廃炉・汚染水対策、除染作業や放射性廃棄物の処理と、国が責任をとりきれているものはない。事故の直接的な責任を負っているのは東京電力であり、賠償や国費の投入も、結局は電気の利用者や国民の負担だ。
いったん過酷事故が起きてしまえば、立地地域は国の責任では対応しきれない打撃を受け、その影響は少なくとも数十年に及ぶ。そんな現実に目をつぶった責任論は空論だろう。
むしろ国が立地地域に対して責任をもってやるべきことはほかにある。脱原発のための支援だ。安倍政権も原発依存の低減を掲げているではないか。
■脱原発依存こそ急務
立地自治体がおしなべて再稼働に前向きなのは、過疎化が進み、原発を受け入れて交付金や税収を得ることでしか「まち」を維持できないからだ。
原発依存から脱していくためには、原発に頼らざるをえない現実を変えていく努力が欠かせない。当然、立地自治体だけでは解決できない難題であり、だからこそ今から取り組むことが必要であるはずだ。
地域の資源を活用した循環型の産業や人材の育成、あるいは原発推進に偏っていた予算の組み替え、電力システム改革や再生可能エネルギーの振興などと組み合わせたエネルギー政策――。電気の消費地も巻き込んでの議論を進めることこそ政府の責任だろう。
朝日新聞が10月25、26日に実施した世論調査では、原発の運転再開に55%が反対した。各紙の世論調査でも国民の過半は再稼働には慎重だ。
川内原発再稼働の手続きが規範となれば、原発の再稼働は立地地域が判断する問題となって、国民全体の民意と離れていく。果たしてそれでいいのだろうか。
原発政策には使用済み核燃料の貯蔵や放射性廃棄物の処分など、地域と全体が対立しかねない問題が山積している。
川内原発再稼働を巡る論議は、地域と国民全体の民意をどうすりあわせるのか、という問題を投げかけてもいる。

2、【読売】川内再稼働へ 地元同意得るモデルにしたい

「原発ゼロ」にしっかり終止符を打ち、他の原発の再稼働を円滑に進めるモデルとしたい。
九州電力川内原発1、2号機の再稼働に、鹿児島県の伊藤祐一郎知事が同意する考えを表明した。
原発が立地する薩摩川内市長と市議会の同意に続いて、県議会も再稼働を求める陳情を、自民党などの賛成多数で採択した。
伊藤知事の速やかな決断によって、年明けにも再稼働が実現する道筋がついた意義は大きい。
今後、原子力規制委員会による最終的な安全審査の手続きが進められる。全原発が停止した昨年9月から1年以上が経過している。さらなる遅れを招かぬよう、九電は安全性を高める設備改修などに、万全を期さねばならない。
川内原発の周辺自治体の一部は、自らの同意も必要だと主張している。伊藤知事が、九電と安全協定を結んでいる鹿児島県と薩摩川内市が同意すれば十分だ、と判断したのは妥当である。
宮沢経済産業相が現地を訪れ、万が一、原発事故が発生した場合には、国が責任を持って対処すると表明したことも適切だった。
一方で、残された懸案も少なくない。川内原発の30キロ圏内にある9市町はすでに、原発事故に備えた避難計画を策定済みだ。
しかし、交通渋滞や避難車両の不足などで計画通り逃げられるのか、心配する見方もある。
避難計画に基づいた訓練を繰り返し、問題点を洗い出す。改善策を講じて、それを地域住民に周知徹底する。そうした地道な努力を積み重ねることが欠かせない。
内閣府には、自治体の避難計画作りを支援する専門部署がある。避難体制の充実についても、積極的な取り組みが求められる。
規制委は、川内原発の運転期間中に想定される最大級の巨大噴火でも、火砕流は原発の敷地に到達しないと判断した。さらに大きな破局的な噴火が発生する可能性は「十分小さい」と指摘した。
九電は引き続き、火山の監視体制を強化し、噴火の予兆をつかんだ場合には、速やかに対応することが重要だ。
川内原発の再稼働にめどがついたことで、今後の焦点は関西電力高浜原発などに移る。
最も早い川内原発でさえ、安全審査の申請から地元同意まで1年4か月を要した。活断層などの評価を巡り、審査が遅々として進まない原発も少なくない。
規制委は安全を大前提に、迅速な審査に努めてもらいたい。

3、【毎日】川内再稼働同意 住民の安全守れるのか

住民を危険にさらす過酷事故は起き得る。それが福島第1原発事故の教訓である。この教訓を軽視したまま、再稼働に向けた手続きが着々と進められていくことに大きな疑問を感じる。
九州電力川内原発の再稼働について審議していた鹿児島県議会は再稼働を求める陳情を採択、伊藤祐一郎知事も同意した。川内原発が立地する薩摩川内市の市長と市議会はすでに同意しており、事実上、地元の同意手続きはこれで完了する。新規制基準ができて以来の大きな節目となるが、再稼働に向けた課題がこれで解決したとは言い難い。
そもそも、原子力規制委員会の手続きが終わっていない。再稼働までには、審査書に基づく工事計画と保安規定の認可を受ける必要がある。それなのに、なぜ、これほど急いで同意を表明する必要があるのか。来春の県議選での争点化を避けようとしたとの見方もあり、十分な検討を尽くした結果なのか、疑問が残る。
私たちは再稼働を認めるにはいくつか条件があると主張してきた。特に、過酷事故が起きた時に住民の生命と健康を守ることは、地元の首長にとって絶対条件のはずだ。しかし、それに備えた避難計画は、要援護者への対応や、避難者の受け入れ体制などに不十分なところが残されている。計画を国が審査する体制もなく、実効性が担保されたとはいえない。このままでは事故時に混乱が避けられないのではないか。
住民の納得が得られたかどうかも重要な要素だ。鹿児島県は周辺5市町で原子力規制庁の職員とともに住民説明会を開いたが、再稼働の必要性や、避難計画の実効性を問う声に、十分な説明はなく、補足説明会でも疑問の声は収まらなかった。
出席者へのアンケートも、説明会への全体的な感想や、理解できなかったテーマを問う表面的な内容にとどまった。本来なら、住民の意見をくみ取り、納得を得るための仕組みが必要だが、その努力も工夫も足りなかったと考えられる。
川内原発が過酷事故を起こせば、その影響をこうむるのは薩摩川内市にとどまらない。にもかかわらず、知事や九電が立地自治体と県の同意で十分としたことに納得していない住民も多いだろう。
もちろん、再稼働の責任は地元だけにあるわけではない。本来なら、政府が原発に頼らない社会をどう構築していくかの道筋をきちんと示した上で、個々の原発の再稼働の可否を判断すべきだ。
こうした条件が整わないまま、なしくずしに再稼働の手続きを進めることは、拙速であり、見切り発車と言わざるを得ない。

4、【日経】川内原発の万全の再稼働へ国は覚悟示せ  

九州電力川内原子力発電所1、2号機の再稼働に地元鹿児島県の伊藤祐一郎知事が同意した。原発のある薩摩川内市も同意している。同原発は9月に原子力規制委員会の安全審査に合格しており、これで再稼働の要件を満たす。
原発の稼働ゼロが長引き、電気料金が上昇して国民生活や経済に悪影響が及んでいる。川内原発は新たな規制基準を満たして再稼働する最初の原発になり、稼働ゼロが解消される意義は大きい。
一方で、安全確保に万全を期すため、国や電力会社にはやるべきことがまだ多い。再稼働に同意した地元自治体も、住民の安全を守る責務を負うことになる。
まず規制委は工事計画の審査など残った手続きをぬかりなく進めてほしい。九電もより入念に機器の点検などにあたるのは当然だ。
事故を想定し、住民を安全に避難させる体制づくりでは自治体の責任が大きい。川内の周辺9市町は防災計画をつくり、国も専門家を派遣するなど支援を強めてきた。だが高齢者らが安全に避難できるかなど、なお懸念が残る。
避難計画が机上の案にならないよう、自治体が防災訓練を積み、住民の不安を拭うことが大事だ。国も事故時の指揮系統がきちんと機能するか、点検すべきだ。
地元だけでなく国民全体に向けても、再稼働がなぜ必要か、政府が丁寧に説明してほしい。
宮沢経済産業相は川内原発の地元を訪ね、理解を求めた。だが安倍首相は「安全が確認された原発を再稼働させる」と訴えつつ、それ以上踏み込んでいない。政権内には「首相が安全を保証すると政治判断になり、適当でない」との意見があるという。
確かに、原発の安全性は規制委が専門的な見地から判断すべき問題だ。一方で、再稼働には国民の不安も根強い。ここは首相が前に出て、事故の再発を防ぎ、万が一起きても最小限に食い止める決意を示すべきではないか。
川内のほかにも電力会社10社が18原発の安全審査を申請し、うち数基の審査は終盤に入っている。だが政府が4月に決めたエネルギー基本計画では、将来の発電量に占める原発の比率や需給見通しなどがあいまいなままだ。
規制委はほかの原発の安全審査を迅速に進めてほしい。同時に政府としても、中長期的に原発にどの程度依存するのか、位置づけをもっと明確に示すときだ。

5、【産経】原発地元同意 川内再稼働は民意反映だ 

九州電力川内原子力発電所1、2号機の再稼働に向けて、ようやく明るい視界が開けた。
鹿児島県議会で再稼働に賛成する陳情が賛成多数で採択され、伊藤祐一郎知事も同意した。
同発電所が立地している薩摩川内市の議会と岩切秀雄市長も10月末に、再稼働への同意を表明済みだ。原発再稼働の可否に多大な影響力を持つ地元同意が得られた意義は極めて大きい。
再稼働までには、原子力規制委員会が実施する原発機器類の使用前検査や書類の仕上げを残すのみとなったことから、今冬中の発電再開もあり得る見通しだ。
川内1、2号機は、平成23年の東京電力福島第1原子力発電所の事故後、国内の全原発48基が停止した中で、新規制基準の安全審査に合格した第1号である。
こうした順調な展開は、想定される津波も高くないなど立地上の好条件に恵まれた面が少なくない。加えて、伊藤知事が地元同意の対象を立地自治体の薩摩川内市と鹿児島県に絞ったことによる議論の集約効果も見逃せない。

6、【中日】3・11前に戻るのか 川内原発

鹿児島県が同意して、手続き上、川内原発の再稼働を妨げるものはない。ゼロから3・11以前へ。多くの疑問を残したままで、回帰を許すべきではない。
何をそんなに急ぐのか。残された危険には目をつむり、不安の声には耳をふさいだままで、流れ作業のように淡々と、手続きが進んだようにも見える。
「安全性は確認された」と鹿児島県の伊藤祐一郎知事は言う。
原子力規制委員会の審査書は、規制基準に適合すると認めただけである。田中俊一委員長も「安全を保証するものではない」と話しているではないか。
◆責任など負いきれない
「世界最高レベルの安全対策」とはいうが、未完成や計画段階にすぎないものも少なくない。
知事は「住民には、公開の場で十分説明した」とも主張する。
しかし、鹿児島県が先月、原発30キロ圏内の5市町を選んで主催した、規制委による住民説明会の会場では「本当に安全なのか」「審査が不十分ではないか」といった不信や不満が相次いだ。
再稼働への懸念を示す質問が司会者に遮られる場面もあった。なぜこんなに食い違うのか。
「万一事故が起きた場合、政府が責任を持って対処する」
鹿児島県の求めに応じ、政府が入れた一札である。
だが、どのように責任をとるのかは、明らかにしていない。
今年もあと2カ月足らず。何万という被災者が、放射能に故郷を追われて4度目の新年を迎えることになる。補償問題は一向に進展しない。
原子炉の中で溶け落ちた核燃料の取り出し作業は延期され、地下からわき出る汚染水さえ、いまだに止められない。繰り返す。原発事故の責任を負える人など、この世には存在しない。
◆はるか遠くに降る危険
議会と知事は、川内原発の再稼働に同意した。だが起動ボタンを押す前に、明確な答えを出すべき課題が、少なくとも三つある。
法的根拠はないものの、地元の同意が再稼働への最後の関門だとされている。
第一に、地元とはどこなのか。
伊藤知事は「県と(原発が立地する)薩摩川内市だけで十分」というのが、かねての持論である。「(原発による)苦労の度合いが違う」というのが理由である。気持ちはわからないでもない。
原発事故の被害は広い範囲にわたり、長期に及ぶというのも、福島の貴重な教訓である。
福島の事故を受け、避難計画の策定などを義務付けられる自治体が、原発の8〜10キロ圏内から30キロ圏内に拡大された。
福島の事故から2週間後、当時原子力委員長だった近藤駿介氏は、半径170キロ圏内でチェルノブイリ同様強制移住、250キロ圏内で避難が必要になるという「最悪のシナリオ」を用意した。
原発事故の深刻な被害が及ぶ地域には、「地元」として再稼働を拒む権利があるはずだ。
次に、火山のリスクである。
九州は、火山国日本を代表する火山地帯である。川内原発の近くには、カルデラ(陥没地帯)が五カ所ある。巨大噴火の痕跡だ。
約40キロ離れた姶良(あいら)カルデラの噴火では、原発の敷地内に火砕流が到達していた恐れがある。
ところが規制委は、巨大噴火は予知できるという九州電力側の言い分を丸ごと受け入れてしまった。
一方、「巨大噴火の予知は不可能」というのが、専門家である火山噴火予知連絡会の見解である。
これほどの対立を残したままで、火山対策を含めて安全と言い切る規制委の判断は、本当に科学的だと言えるのか。適正な手続きと言えるのだろうか。
三つ目は、避難計画の不備である。県の試算では、30キロ圏内、九市町の住民が自動車で圏外へ出るだけで、30時間近くかかってしまうという。
入院患者や福祉施設の人々は、どうすればいいのだろうか。福島では、多くの要援護者が避難の際に命を落としているではないか。
知事の自信と現場の不安。ここにも深い溝を残したままである。
◆代替エネルギーはある
そもそも、新潟県の泉田裕彦知事が言うように、福島の事故原因は、まだ分かっていない。
原因不明のまま動かすというのは、同じ事態が起き得るということであり、対策が取れないということだ。根拠のない自信によって立つ再稼働。3・11以前への回帰であり、安全神話の復活である。
川内をお手本に次は高浜、そして…。原発再稼働の扉をなし崩しで開いてしまうことに、多くの国民は不安を抱いている。再生可能エネルギーという“国産”の代替手段はあるのに、である。

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