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【14.07.06】 中日の社説「週のはじめに考えるー「成長病」にさよならを」がおもしろい。

「資本の論理」ばかりの成長戦略は国民を不幸にする。と、かつて政府の経済戦略に関わった2人(水野和夫・中谷巌氏)から重い問いかけ。

 アベノミクスで景気回復ムードは高まっているが、資本主義の行き詰まりを指摘する経済文明論がブームになっている。
 4月に米国のNGO(非政府組織)が暮らしやすさを表す「社会進歩指標」を発表した。1位はニュージーランド。以下スイス、アイスランド、オランダ…。日本は14位で、世界一の経済大国・米国は16位だった。20世紀を通じて重視されてきた経済力という指標では、もはや不十分と考え、自殺や女性の地位、学校の出席率、少数民族への態度など膨大なデータを反映させたものだ。幸福度指標など、この種の新しい指標はいくつか存在するが、共通しているのは経済力や軍事力の強さは市民の幸せにつながらないということだ。GDP(国内総生産)への過度な信仰が「本当の豊かさ」を損なっている。

 日本大学の水野和夫教授(証券会社系シンクタンクでエコノミストを30年、政府に招かれ内閣府官房審議官など経済政策の進言役も務めた。)の目には、これまで経済発展に貢献してきた資本主義は役割を終え、むしろ負の側面ばかりが映っているようです。資本主義は、常に収奪する側が、搾取される側「周辺」をつくり出し、成長を最も効率的に行うシステムでした。先進国は多くの途上国を「周辺」としてきたが、もうアフリカしか残っていない。米国は、代わりに金融で新たな「周辺」をつくったが、リーマン・ショックで、それもついえた。それでも利潤追求を必然とする資本主義ですから、収奪する先を国内にもつくる。それが非正規雇用であり、残業代ゼロの社員。「成長病に侵された政府は資本主義にしがみつき、成長至上にとらわれた政策を続けている。それが多大な犠牲を生んでいるのです」。アベノミクス効果で浮かれ気味の政権とは対照的に、生活保護世帯や金融資産がゼロの世帯が増えている。物価上昇分を差し引いた実質的な賃金は低下している。中間層は疲弊し、もう資本主義を支持する動機がないと言います。(「資本主義の終焉と歴史の危機」より) 水野氏が考えるには、キーワードは「脱成長」。それは後ろ向きな発想ではなく、現在の「過剰さ」に向き合い、適正な水準に見直す。賞味期限に過剰反応して大量廃棄される食品ロスの問題、住宅街まであふれる自動販売機、昼間でも煌々とともる照明群…。「過剰」や、バブルを起こさなければ回っていかない現在の資本主義経済は異常だ。

 資本主義の長い歴史で、時々の暴走には経済学者や思想家がブレーキをかけてきた。「資本論」のマルクスはもちろん、経済学の父、アダム・スミスは「道徳感情論」の中で「金持ちがより多くの富を求めるのは徳の道から堕する」と説き、20世紀の偉大な経済学者ケインズは、失業は市場で解決できるとせず政府が責任を持つべきだと主張した。今はグローバルに暴走する資本主義にブレーキをかけ、次なるシステムを模索する時期。それは短期にできるものでも、経済だけで実現するものでもない。社会の変革を伴い、気づいたら移行していたというものかもしれない。

 小渕内閣の「経済戦略会議」で構造改革の旗を振り、後に市場原理は誤りと「転向」した中谷巌氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長)は言います。
 「人間は成長を目指すDNAを備え、排除するのは難しい。それでも米国で株主利益より社会貢献を優先できる仕組みなど株主至上主義を見直す動きもある。要はどういう社会を目指すかを選良が示すべきだ。新成長戦略は(強者を利する)規制緩和など古い新自由主義的思想で残念です」

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