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【17.08.21】 「朝日訴訟」提訴60年

憲法を実質化させる運動 安倍政権が強行した生活保護引き下げの違憲性を問う裁判では1000人近い利用者が原告になっています(いのちのとりで裁判、生存権がみえる会)

「朝日訴訟」提訴60年 今も生きる「人間裁判」の重み
岡山県の国立療養所で闘病中の重症結核患者、朝日茂さん(当時44歳)が低すぎる生活保護費は憲法に違反すると裁判を起こしたのは60年前、1957年8月でした。“人間に値する生活とは何か”を提起した裁判は「人間裁判」と呼ばれ、日本の社会保障を前進させる上で重要な役割を果たしました。いま安倍政権が社会保障切り捨てを強める中、「朝日訴訟」の意味が改めて問われます。
朝日さんは生活保護法に基づき医療扶助と生活扶助で暮らしていました。1956年、福祉事務所は音信不通だった朝日さんの兄を探し出し送金を要求、それを受け入れた兄は月1500円仕送りすることにしました。月600円の扶助費で苦しい生活をしていた朝日さんは兄の愛情に触れ涙を流しました。ところが福祉事務所は兄の送金を収入認定し1500円から600円を日用品費にあてさせ生活扶助費を廃止、900円は医療費自己負担分として朝日さんに払わせる決定をしたのです。国が社会保障削減を進めていた時期です。
朝日さんは行政不服審査請求をし、それが却下された後、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を踏みにじった決定であり、憲法と生活保護法違反だとして国を相手取り東京地裁に提訴しました(8月12日)。月600円という当時の生活扶助基準は、肌着なら2年に1枚、パンツなら1年に1枚しか買えません。「健康で文化的な生活ができない。せめて手元に1000円残してほしい」。痛切な思いでした。
東京地裁(浅沼武裁判長)は1960年10月、朝日さんの訴えを全面的に認める判決を言い渡しました。「健康で文化的な生活水準」とは「必ずや国民に『人間に値する生存』あるいは『人間としての生活』といいうるものを可能ならしめるような程度のものでなければならない」として▽最低限度の水準は時々の国の予算配分によって左右されるべきものではなく、むしろこれを指導支配すべきだ▽「健康で文化的な水準」は全ての国民に保障されなければならない―などと指摘しました。
当時、憲法25条は国の努力目標を規定したものにすぎないという考えが大勢の中、生存権保障の国の責任を明快に認めた判決は画期的でした。判決と世論の広がりを受け、国も福祉の拡充に動かざるをえない状況にもなりました。
「憲法は絵に描いた餅ではない」。判決の前年、浅沼裁判長が朝日さんらに語っていた言葉です。
東京高裁で朝日さんは敗訴、1967年に最高裁は朝日さんの死去で訴訟終了としました。しかし、「朝日訴訟」は「人権としての社会保障」を求める運動の原点です。
生活保護削減に抗するたたかいは脈々と引き継がれています。70歳以上に支給されていた老齢加算廃止反対の「生存権裁判」には100人余りが各地で提訴、うち福岡高裁は2010年に原告勝訴判決を出しました(最高裁で敗訴)。保護基準をめぐる裁判では「朝日訴訟」以来の重要な出来事です。安倍政権が強行した生活保護引き下げの違憲性を問う裁判では1000人近い利用者が原告になっています。「権利はたたかう者の手にある」という「朝日訴訟」の精神を生かし憲法を実質化させる運動はさらに重要です。(今日のしんぶん赤旗主張より)

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