活動日誌−活動日誌

【16.11.03】 1946年11月3日の憲法公布から今日70年を迎えました。

今日は文化の日なのに、新聞各社の社説では憲法公布70年の文です。

しんぶん赤旗では、

憲法を守り生かすのか、それとも安倍政権が狙う改憲で「戦争する国」に突き進むのか、問われています。
憲法は翌1947年5月3日に施行されました。憲法が制定されてから70年間、一度も改正されず現在に至っているのは、日本国憲法が世界でも先駆的なもので、国民に定着し、度重なる改悪の策動にもかかわらず国民が改定を望まなかったからです。
「日本国民は、(中略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍(2000万人を超すアジアの諸国民と310万人以上の日本国民が犠牲にされた。)が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。日本国憲法が前文の冒頭に掲げるこの言葉は、まさに憲法の初心そのものです。
当時の日本政府は、日本の非軍事化と民主化を受け入れて降伏したにもかかわらず、憲法については戦前以来の明治憲法の部分的手直しで乗り切ろうとしました。マッカーサーを最高司令官とする占領軍(連合国軍総司令部=GHQ)はそれを許さず、民間の案なども参考に草案を作成しました。日本政府はそれを受け入れて政府案を作成し、半年近い国会審議でも修正を加え、制定に至ったのです。
憲法の制定作業を支え、憲法学者としても活動した佐藤功氏(故人)は、1955年に出版し先日復刻された『憲法と君たち』の中で、日本国憲法は明治憲法のもとでの間違った政治を繰り返さないため、民主主義と基本的人権の尊重を原則にしたが、「一番誇ってもよい」のは二度と戦争をしないことをはっきり決めたことだと指摘しています。「他の国々はまだしていないこと」を「日本がやろうというわけだ」と。「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」。佐藤氏の言葉です。
改憲勢力は、憲法は「押し付けられた」ものだといいます。しかし、戦争に反対し、「国民が主人公」の政治を求め続けてきた戦前・戦後の国民の闘いを振り返れば、日本国憲法を「押し付け」などと描くのは一面的です。戦前戦中、命懸けで戦争に反対した日本共産党が、戦後も他党に先駆けて「新憲法の骨子」を発表(1945年11月)し、「主権は人民にある」と主張、その後の憲法制定議論に影響を与えたといわれていることも特筆すべき事実です。
今年、教育学者の堀尾輝久氏が、戦争放棄、戦力不保持をうたった憲法9条を1946年1月に提案したのもマッカーサーではなく、当時首相だった幣原喜重郎だったという史料を発掘して話題になりました。改憲勢力の「押し付け」憲法論はいよいよ通用しません。
日本国憲法の平和主義、民主主義、基本的人権の尊重の原則を丸ごと踏みにじっているのが自民党の憲法改正草案です。憲法の“初心”を踏まえ、なによりこの改憲案は許さないことがいま重要です。

商業新聞では、

少し長いですが、

1、朝日新聞 憲法公布70年 何を読み取り、どう生かす  
憲法を生かす。そのことによって、米軍普天間飛行場の辺野古移設計画をめぐる政府と沖縄県の対立を打開できないか。
そんな視点から一つの案を示すのは、憲法学者の木村草太・首都大学東京教授だ。
■地域の民意を未来へ
辺野古に新たな基地ができれば、地元名護市や沖縄県の自治権は大きく制約される。
「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」とする憲法92条に沿えば、辺野古基地設置法のような法律をつくる必要がある。
さらに憲法95条は「一の地方公共団体のみに適用される特別法」は、住民投票で過半数の同意を得なければ制定できないと定める。国がそうした法律をつくる場合は、名護市はもちろん沖縄県の住民投票も必要だ。それが木村さんの指摘である。
こうした考え方を県は国との裁判で主張し、国会でも議論になった。だが首相は「すでにある法令にのっとって粛々と進めている」と、新たな立法も住民投票も必要ないとの考えだ。
それでも、木村さんは言う。「憲法は、辺野古基地のようなものを造る時には自治権の制限について地元自治体の納得をえながら進めなさい、と規定していると読める。そういう手続きを踏んでゆけば、今のような国と県のボタンの掛け違いは起きなかったのではないですか」
地域の民意を地域の未来に反映させる―そうした知恵を憲法から読み取り、現実に生かすことができないか。
「健康で文化的な最低限度の生活」
そんな題名の漫画が、青年コミック誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」で連載中だ。憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」からとった。
テーマは生活保護。福祉事務所のケースワーカーが、受給者と制度のはざまで、悩み、そして前に進んでゆく物語だ。
■全ての人が人らしく
作者の柏木ハルコさんは、取材を進めるほどに、憲法25条の文言が何を意味するのかを考えさせられたという。それはどのくらいの生活なのか……。
「題名の言葉の意味を、読者にも一緒に考えてもらえたら」
主人公と同様に、生活保護という制度も、前に進み、押し戻される経過をたどってきた。
困窮者を政府が選別して救済する性格をもつ生活保護法(旧法)は1950年に改正され、憲法25条を具体化した生活保護法(新法)が生まれた。
国家に国民の生活保障の義務がある。最も先進的な民主主義の理念が新法に反映され、一定の基準に満たない人は誰でも生活保護を利用できるようになったはずだった。
だが、右肩上がりの経済成長に陰りがみえるにつれ「自助」が強調されるようになる。
窓口を訪れた人に申請をさせない「水際作戦」が問題化した。「生活保護バッシング」が広がり、制度を利用しづらい空気が社会を覆う。
子どもの貧困、非正規雇用の増加、格差の拡大……。すべての人が人間らしく生きられる社会という憲法がめざす地点に、現実はたどり着けずにいる。
■問われる幸福追求権
福島県南相馬市が今年5月、憲法全文を収めた冊子2万部あまりを全戸配布した。
同市では、福島第一原発事故によって、住民の多くが慣れない避難生活で体調を崩し、命を落とした。災害関連死者は全国最多の487人にのぼる。
「憲法の保障するはずの『健康で文化的な生活を営む権利』が剥奪された瞬間があった」と桜井勝延市長は振り返る。
同市南部に出された避難指示は7月に解除されたが、1万4千人いた住民のうち戻ってきたのは約1100人に過ぎない。
桜井市長は言う。
「憲法がいう、国民が幸福を追求する権利とはどういうものか。もう一度、憲法を読み、みんなで冷静に考えようということです」
憲法13条は、すべての国民が「個人として尊重される」とうたい、その「生命、自由及び幸福追求に対する権利」を最大限尊重するよう国に求める。未曽有の原発事故が、その意義を問い直している。
平和主義、人権の尊重、民主主義。憲法には、人類がさまざまな失敗の経験から学んだ知恵と理念が盛り込まれている。
戦後の平和と繁栄に憲法の支えがあり、憲法が多くの国民に支持されてきたのは確かだ。一方で、憲法の知恵と理念は十分に生かされてきただろうか。
安倍首相が憲法改正に意欲を見せるなか、今月10日に衆院憲法審査会の議論が再開される。だが改憲を論じる前に、もっと大事なことがある。
一人ひとりの国民が憲法から何を読み取り、どう生かしていくか。きょう公布70年を迎える憲法の、問いかけである。

2、読売新聞 憲法公布70年 新時代に即した改正を目指せ
◆緊急事態や合区の議論深めたい◆
憲法はきょう、公布から70年を迎える。
この間、日本の社会や国際情勢は劇的に変化したのに、憲法は一度も改正されていない。
新たな時代に的確に対応できるよう、国の最高法規を見直すことは、国会の重要な責務だ。70年間も放置してきたのは、不作為だと指摘されても仕方あるまい。
◆国会の「不作為」正そう
憲法は、第2次大戦直後の米国占領下、連合国軍総司令部(GHQ)の原案を基に制定された。
国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の3原則は今後も堅持すべきだが、時代の変遷に伴い、現実との様々な乖離(かいり)が生じていることは否定できない。
読売新聞の国会議員アンケートでは、7割超が「改正する方がよい」と回答した。注目すべきは、改正に慎重な民進党も、55%が改正に賛成していることだ。
改正すべき項目は、「自衛のための組織保持」が48%と最多で、9条に関する問題意識の高さが裏付けられた。以下は、「国と地方の役割」「環境権」「参院選の合区解消」「緊急事態条項」などの意見が拮抗(きっこう)している。
1990年代半ば以降、ほぼ一貫して一般国民や国会議員の調査で改正派が多数を占めながら、改正項目さえ絞れない。この状況を打開するには、衆参両院の憲法審査会を活性化し、改正の具体論を掘り下げることが欠かせない。
7月の参院選の与党大勝で、自民、公明両党と憲法改正に前向きな日本維新の会などの議席は、憲法改正を発議できる衆参両院の3分の2以上を占める。だが、憲法審査会の動きは停滞気味だ。
◆立憲主義は維持される
与野党は、今月10日の衆院審査会の再開で合意した。実質的な議論は1年5か月ぶりだ。臨時国会では、憲法制定の経緯や立憲主義などの自由討議が中心で、改正項目の絞り込みは先送りされる。
立憲主義を議題にするよう主張したのは民進党だ。安全保障関連法を「違憲」と決めつけた憲法学者らの意見を基に、「安倍政権は立憲主義を軽視している」などと批判するためとの見方もある。
しかし、安保関連法は、集団的自衛権の行使を限定容認にとどめ、最高裁判決や従来の政府解釈との論理的整合性を維持した。立憲主義に沿ったものである。
民進党は、安保関連法審議時の不毛な議論を蒸し返さず、建設的な論議を展開してもらいたい。
国民投票で過半数の賛成を得るという高いハードルを考えれば、民進党も含め、幅広い与野党合意を形成するのが望ましい。
自民党は、2012年憲法改正草案を提案しないと決め、野党に歩み寄った。現実的な判断と言える。少数派の主張にも配慮し、審査会の議論をリードすべきだ。
安倍首相が「自分は政局の一番中心にいるから党に任せる」と自民党幹部に語ったのも、前面に出ない方が良いとの意向だろう。
公明党は「加憲」の立場を維持し、10月に党憲法調査会の議論を再開した。日本維新の会は、道州制を含む統治機構改革など三つの改正項目を掲げ、各党にも改正の論点を示すよう求めている。
自民、公明、維新の3党が十分連携することが大切だ。
疑問なのは、民進党の対応である。
蓮舫代表は「憲法論議に積極的に参加する」と強調する。「安倍政権下では憲法改正論議に応じない」という頑(かたく)なな岡田克也前代表の方針を転換した点は評価できる。
◆民進は建設的な対応を
だが、枝野幸男憲法調査会長は「現行憲法が民進党の対案」と述べ、「護憲」の共産、社民両党に同調する。「未来志向の憲法を国民とともに構想する」との民進党綱領と矛盾するのではないか。
今後の議論の焦点は、具体的な改正項目である。
緊急事態条項や、環境権など新たな人権の追加は、憲法制定時には想定されていなかった。
大災害時の首相権限を強化し、効果的な救援を可能にすることは優先度の高い危機管理上の課題である。国会議員の特例的な任期延長とともに、議論を深めたい。
今回の参院選で初めて導入された選挙区選の合区の解消も、3年後に次の参院選が控えていることを踏まえ、協議を急ぐべきだ。
参院の「地域代表」の性格を強め、全都道府県から最低1人を選出する仕組みが想定される。
その場合には、「全国民を代表する」衆院との役割分担を見直し、衆院の再可決要件を3分の2以上から過半数に引き下げることなどを検討する必要がある。

3、毎日新聞 憲法公布70年 土台を共有しているか
国家のあり方が揺らいでいる。
このところ顕著なのは、自由や人権、民主主義といった価値を先駆的に追求してきた国々の揺らぎだ。
1年前に大規模テロが起きたフランス。難民の受け入れできしむドイツ。欧州連合から離れる英国。そして5日後に大統領選を迎える米国。
そこにあるのは、グローバリズムのもたらす苛烈な現実を前に、理想を支えきれずにあえぐ国の姿だ。
ひるがえって日本はどうだろう。所得格差の拡大やポピュリズムの浸透は各国の動向と無縁ではない。
きょう日本国憲法は公布から70年を迎えた。地球規模で潮流が大きく変化する中での節目である。
内外の新たな政治状況
カネやモノが自由に移動するグローバル社会は、一面で国境の壁を低くする。しかし、同時にグローバル化はナショナリズムを刺激し、国家意識を強めもする。
その帰結が、各国で目立ち始めた自国第一主義の考え方であろう。フランスの著名な歴史人口学者エマニュエル・トッド氏は「グローバル化への疲れ」と表現する。
こうした風潮は、国際主義の力を弱め、日本の憲法論議にも影響してくる可能性をはらんでいる。
さらに今年は、7月の参院選を経て、憲法の改正に前向きな勢力が初めて衆参両院で3分の2以上に達した年だ。内外ともに新たな政治状況が憲法を取り巻いている。
憲法とは国家の根本原則を定めるものだ。それぞれの国の理念や統治ルールの骨格が書き込まれ、すべての法律は憲法に従属する。
したがって憲法が表現しているのはその国のかたちだ。同じ国でも時代の影響を受けて変わる。
日本国憲法は敗戦前後の激動期をくぐり抜けて生まれた。ポツダム宣言の受諾が事実上の出発点だ。
連合国軍総司令部(GHQ)は占領の開始直後に憲法改正を求めている。しかし、日本側作成の改正試案が明治憲法の修正にとどまっていたため、GHQ民政局のスタッフが直接原案作りに乗り出した。1946年2月のことだ。
日本側は戸惑いながらも翌3月にGHQ案を基に憲法改正草案要綱を閣議決定する。4月の衆院総選挙をはさんで、明治憲法の改正案として帝国議会に提出されたのは6月。1条や9条などに修正が加えられて10月に議会を通過した。
憲法公布日の1946年11月3日、天皇は「国民と共にこの憲法を正しく運用し、自由と平和とを愛する文化国家を建設するように努めたい」との勅語を出している。
こうした憲法の制定過程を踏まえて自民党内には「押しつけ憲法」論が根強く存在する。安倍首相もその考えの持ち主だ。
さらに首相を支持する右派の民間団体「日本会議」の中には、占領期に作られたから無効だとして「憲法破棄」や「明治憲法の復元」といった極論を唱える人たちもいる。
復古的な主張は以前からあった。しかし、安倍政権下でそれが強まっているのは、グローバル化に伴う反作用と考えることができる。
直視すべきなのは、この憲法が70年間改正されずに戦後日本を支えてきた事実の重みだろう。曲折を経ながらも、現行憲法の存続期間はすでに明治憲法を超えている。
「敵視」では前に進めない
国会では今月から衆参両院の憲法審査会が議論を再開する。安全保障法制をめぐる混乱で休眠状態になった昨年6月以来だ。
改憲を宿願とする安倍首相は再三、審査会への期待を表明している。しかし、屈折した感情のまま憲法を「敵視」するようでは、議論を前に進めることはできない。
他方で改憲阻止を自己目的化する硬直的な「護憲」論もまた生産的ではないと私たちは考える。
相互依存の関係が進む国際社会にあって、かたくなに日本の憲法だけを絶対視するのは、形を変えた自国第一主義ではないだろうか。尊重しつつも相対化してみることだ。
憲法は国民が国家という共同体で幸福に暮らしていくためにある。権力が国民を管理する手段でもなければ、単なる権利章典でもない。
大切なのは、現行憲法の果たしてきた歴史的な役割を正当に評価したうえで、過不足がないかを冷静に論じ合う態度だろう。
70年のうちに時代は変わった。国民の意識も多様化している。「押しつけ」論と「護憲」論を延々とぶつけ合っていても、憲法に生命力を注ぎ込むのは困難だ。
投票価値の平等をめぐり、その場しのぎの制度改正が繰り返される参院の役割はどうあるべきか。政府と沖縄県の深刻な対立を踏まえ、地方自治をどう再定義していくか。
これらは憲法の問題として議論に値するテーマだと考える。
衆院憲法審査会長に就任した自民党の森英介氏は本紙のインタビューに「『憲法論議に与野党なし』の精神を堅持する」と語っている。その考えに異論はない。
まずは各党が憲法とは何か、その土台を共有することだ。左右の極論はその障害になる。節目にあたってこのことを強く訴えたい。

4、日経新聞 憲法に時代の風を吹き込むときだ 
日本国憲法が公布されて3日で70年を迎えた。憲法の制定過程から、9条にからんでの自衛隊の存在や安全保障のあり方など、さまざまな議論を重ねながら、いちどとして改正されることなくここまで来た。
7月の参院選をへて、衆参両院で「改憲勢力」が改憲の発議が可能な3分の2を確保した。改憲案を検討する衆院の憲法審査会もようやく論議を再開する。古希を迎えて憲法もいよいよ新たな段階に入ろうとしている。
戦後政治は9条の攻防
ちょうど70年前の1946年(昭和21年)11月3日午前。貴族院議場で吉田茂首相をはじめ貴衆両院の議長らが参列し、憲法公布の記念式典が開かれた。
昭和天皇は玉座から立ち上がり勅語を読み上げられた。
「この憲法は帝国憲法を全面的に改正したものであって……日本国民はみずから進んで戦争を放棄し……常に基本的人権を尊重し、民主主義に基づいて国政を運営することをここに明らかに定めたものである」
「朕(ちん)は国民と共に……自由と平和とを愛する文化国家を建設するように努めたいと思う」
施行されるのは半年後の翌1947年5月3日で新憲法秩序がスタートするのはそこからだが、この天皇勅語に戦後日本が求めた国のかたちが端的に言いあらわされている。それは、自由で平和でそして豊かな国という目標である。
たしかに憲法がそのために果たした役割は大きい。軽武装重商主義によって焼け跡の中から高度成長を実現し、世界第2の経済大国になった。その背景に9条の存在があったのは間違いない。
1990年代に入って冷戦構造が完全にこわれた。米国依存は許されなくなった。世界の中の日本として経済力に見合った負担や貢献が求められはじめた。自衛隊の海外活動がテーマとなった。
もともと自衛隊違憲論が主張され、改憲―護憲両派の議論がつづいている中での、9条問題の新たな展開だった。
政府が容認していないと解釈した集団的自衛権の行使も、問題点としてクローズアップされた。戦後政治とは一貫して9条をめぐる攻防だった。
現行憲法は不磨の大典ではない。憲法は権力の行使に枠をはめるものだとしても、状況の変化に柔軟に対応する必要があるのはどんな制度にもいえることだ。
昨年の安全保障関連法の成立により、皮肉なことに改憲の本丸である9条改正はとりあえず必要性が薄れてしまった。
自民党が野党当時の 2012年にまとめた改憲案は、あまりに保守色が濃く論外だが、党の体質を知るうえで撤回せず人目にさらしておくのも悪くない。
今日迫られているテーマは別のところにある。とどまるところを知らない人口減少と、3.11の教訓からいつ起こるか想定できないことが明らかになった緊急事態への、備えである。時代の風を憲法に吹き込まなければならない。
人口減少が憲法と深くからんできているのは、参院の選挙区の合区問題だ。法の下の平等と、全国民の代表としての国会議員の地位を、憲法は定めている。合区を避け、都道府県単位で参院議員を選出する仕組みを維持しようとするなら、改憲するしかない。
参院を「地方の府」に
そのときの参院は今のような衆院と同じ選挙制度ではなく参院を完全に「地方の府」にしてしまうのが一案である。「強すぎる参議院」の是正も当然必要だ。参院のあり方を全面的に改め、統治構造改革に切り込むものだ。
緊急事態に備えるための改憲は、自然災害で国政選挙ができなくなった場合の対応など、条文を触らないとできないものに限るべきだろう。広い範囲で政府に権限を認めるのは避けた方がいい。
国会の憲法審査会の運営はもたもたしている。議論がどこまで進み、いつになったら改憲案の発議から国民投票まで行くのか、とても見通せる状況にない。
1946年6月、帝国憲法の改正案として提出された日本国憲法は10月に入って帝国議会での手続きをおえた。憲法担当相として答弁を一手に引き受けた金森徳次郎は真夏の暑い盛り、冷房などない時代、戦災で焼け出されて一張羅になった冬のモーニングを着て国会審議にのぞんだ(古関彰一著『日本国憲法の誕生』)。
政治の駆け引きをつづける与野党議員らは、正装で流れる汗をふきながら憲法論議に向き合った先人の姿に思いをはせた方がいい。

5、産経新聞 憲法公布70年 日本のかたち示す改正を 「9条」先送りの暇などない 
日本国憲法の公布から70年がたった。中国や北朝鮮の動向は、自分の国を守れるかという課題を日本人に突き付け、憲法と現実との乖離を顕在化させている。
国民の手で憲法を一日も早く改正すべきことは、国の生存にかかわるという認識が欠かせない。
参院選の結果、憲法改正の発議に必要な3分の2の勢力が衆参両院で初めて確保された。にもかかわらず、憲法審査会は始動せず、改正の歩みは遅々としている。
すべての政党と国会議員は、主権者である国民に対し、改正案の発議を託された責任を負っていることを強く自覚してほしい。
《自らの手に取り戻そう》
憲法を改めるかどうかは、国民投票で決まる。改正には「憲法を国民の手に取り戻す」大切な意義があることを強調したい。というのも、制定当時の日本は連合国の占領下にあり、主権も言論の自由もなかったからである。
その草案は連合国軍総司令部(GHQ)の要員が1週間ほどで作り、日本側に強要した。GHQの許す小さな修正を経て成立、公布された経緯がある。
憲法制定は主権国家が外国の干渉を排し、自主的に行うのが当たり前だ。それと正反対の現憲法は「占領基本法」とさえいえる。
GHQは憲法公布直後の昭和21年11月末の検閲指針で「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」を削除や掲載禁止の対象に指定していた。押し付けを自覚していた証しにほかならない。
改正に反対する政党、学者らの多くは、憲法の役割は国家権力を制限して国民の権利、自由を守ることに限られると主張する。これをもって立憲主義を唱えているのは、極めて偏った解釈である。
憲法に国家権力を制限する役割があるのは当然だが、それに限定するのは世界の常識に反する。
英語で憲法にあたる「コンスティテューション」は、同時に国のかたちや国体、国柄も意味する。日本という国ならではの特徴も憲法の中で表現する、バランスの取れた内容が望ましい。
日本の歴史や伝統をよく知らないGHQが憲法を起草した。日本人の手で作られたとは言い難い点に目をつむったまま、立憲主義を唱えることには違和感を覚える。のみならず、歴史や伝統の放棄への意図さえうかがえる。
国柄と並んで、改正の核心が国の守りにあることは言うまでもない。憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。
尖閣諸島の奪取を図る中国や、弾道ミサイルを近海に撃ち込む北朝鮮を信頼して、日本の安全と生存を確保することは望めない。
今の憲法には、国と国民を守る軍や自衛隊についての規定がどこにもない。9条の主眼は戦力不保持や交戦権を否認することにある。前文と併せて読めば国の守りなど考えるなというに等しい。
それがゆえに空想的平和主義が跋扈(ばっこ)し、国や国民を守る努力を妨げてきた。武力で日本を威嚇しようとする勢力の動きはそれに乗じたものだ。
安全保障関連法の制定が、抑止力を向上させた点は評価できる。だが、与党内に「安保法があるから9条改正は先送り」との考え方があるのはおかしい。
海外での武力行使を禁じている9条の制約があるため、北朝鮮にいる拉致被害者の居場所が分かっても自衛隊は救い出せない。
平時の行動中に、近くで米軍艦船や航空機が外国軍から攻撃されても、自衛隊は助けられない。これらは、日米同盟の抑止力を高める上で支障になっている。
《お務めの明記が重要だ》
安倍首相は「私は政局の渦中にいるから、自民党に任せる」と改正論議の先頭に立つことを控える姿勢もみせる。だが、自らの信念に基づき、改正の具体論を国民に語ることが不可欠である。
天皇陛下が8月に「象徴としてのお務め」に関するお気持ちを示され、譲位やお務めのあり方に関する検討が進められている。
憲法上、お務めは国務大臣の任命などの国事行為しか挙げられていないが、その他にも国や国民の安寧を祈られる宮中祭祀や皇室外交、被災地ご訪問などがある。
いずれも象徴として、立憲君主として大切な役割である。憲法で明確に位置付けることは、国柄の反映にとっても重要である。

6、中日新聞 憲法公布70年 感激を忘れぬために  
70年前のきょう、日本国憲法が公布された。戦争犠牲者を思い、国内外に不戦と平和を宣言したのだ。その感激を忘れぬよう努めたいと思う。
「今日は何といふ素晴らしい日であつたか」
元首相の芦田均は憲法が公布された3日の夜、日記の冒頭にそう記した。「生れて今日位感激にひたつた日はない」と続く。
その日は午後2時から東京の皇居前広場で祝賀大会が開かれていた。日記は描写する。
◆戦争犠牲者を忘れるな
「秋晴に推進されて数十万の民衆がこの広場に集つて来た。一尺でも式場に近附(づ)かうとして左に揺れ右に揺られつゝ群集は汗をふいてゐ(い)る」
両陛下が馬車で二重橋を出ると群衆は帽子やハンカチを振った。楽隊が「君が代」を奏すると一同が唱和した。芦田は涙をこぼした。周囲の人も泣いていた。
「陛下が演壇から下りられると群集は波うつて二重橋の方向へ崩れる。ワーッといふ声が流れる。熱狂だ。涙をふきふき見送つてゐる。群集は御馬車の後を二重橋の門近くへ押(おし)よせてゐる。何といふ感激であるだらう。私は生れて初めてこんな様相を見た」
中部日本新聞(中日新聞)は翌日の朝刊一面に「憲法公布、感激裡(り)に挙式」、社会面に「都に鄙(ひな)に表情は明るい」と見出しを立てて報じている。
芦田は憲法原案を審議した衆院小委員会の委員長であり、その年の8月24日には衆院本会議で次のように語っている。
「戦争放棄の宣言は、数千万の犠牲を出した大戦争の体験から人々の望むところであり、世界平和への大道である」
この憲法は多くの戦争犠牲者の上に成り立っていると同時に、当時の人々が強く平和を望んだ上に立ってもいる。それを忘却してはならない。
◆流血と無血二つの道
終戦の1945年を中心として、コンパスを回すように歴史をさかのぼってみよう。
ちょうど71年前にあたる1874年には台湾出兵があった。明治政府による最初の海外派兵だった。1894年からは日清戦争、1904年からは日露戦争をした。ロシア革命を受けて、1918年からはシベリア出兵、1927年から三度にわたり中国への山東出兵…。
1931年には満州事変を起こした。1937年からは泥沼の日中戦争へ、さらに1941年からは無謀な太平洋戦争へと突き進んだ。
富国強兵策から「世界の一等国」になりつつ、結局は破滅の道をたどったのである。国内外での「流血の歴史」である。
ひるがえってコンパスを1945年から2016年の今日まで回してみれば、この71年間は「無血の歴史」である。根幹に平和主義の憲法があったのは疑いがない。
先人たちは実に賢明であった。憲法の力で戦争を封じ、自由で平和な社会を築いたからだ。
それを考えれば、今は大きな歴史の分岐点にある。歴代内閣が否定してきた集団的自衛権の行使を解釈改憲によって認め、安全保障法制を数の力で押し切った。
軍事的価値を重んずるかのような政権である。次に目指しているものは、憲法改正なのは明らかであろう。
国民が求めていないのに、受け入れられやすい改憲名目を探す。この「お試し改憲」は目的がないという意味で動機が不純だ。
「改憲のための改憲」は権力の乱用であるという指摘がある。
今、われわれが見ているものは、専制主義的な権力の姿ではなかろうか。
「憲法の番人」たる内閣法制局、日銀、公共放送たるNHKの人事…。民主制度に仕組まれたさまざまな歯止めを次々とつぶしてから進んできた。いくら党是といえど、戦後でこれほど憲法を敵視する政権はなかった。
明治時代には自由民権運動があり、さまざまな民間の憲法私案がつくられた。その中に植木枝盛という人物がいた。思想家であり、第一回衆院選挙で当選した政治家でもあった。「東洋大日本国国憲按(あん)」という憲法案を書いた。
◆世に良い政府はない
人民主権や自由権、抵抗権などを求めた先進的な案である。彼には「世に良政府なる者なきの説」という演説原稿がある。
人民が政府を信ずれば、政府はそれに付け込んで、何をするかわからない。世に良い政府などないと説いた。1877(明治10)年の言説として驚く。こんな一句で締めくくられる。
「唯一の望みあり、あえて抵抗せざれども、疑の一字を胸間に存し、全く政府を信ずることなきのみ」
「疑」の文字を胸に刻んで、今の政治を見つめよう。

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