活動日誌−活動日誌

【16.04.28】 今日の中日新聞社説が「サミット」について触れている。

桑名での「ジュニアサミット」は終わった。「コミュニケ」の全文を手にした。

麓の声は聞こえるか サミットに向けて  中日社説4月28日

 主要国のリーダーが集まるサミットとは、本来、山の頂上を意味する言葉。構えばかりが大きくなって麓の声が届かぬならば、存在意義は薄れよう。

 初の主要国首脳会議、ランブイエ・サミットがパリの南西50キロほどの森の中に残る古城で開かれたのは1975年。フランスのジスカールデスタン大統領と当時は西ドイツのシュミット首相が主導し、第一次石油危機などで行き詰まった先進国の経済政策を調整することが目的だった。

協定なくとも毎年続く
 仏、西独のほか米国、英国、イタリアに日本という6カ国(カナダは翌年から)が参加。ジスカールデスタン大統領は「城が狭いので…」という口実でメンバーを絞り、首脳と随員各3人だけが2泊3日で泊まり込み、膝詰めで話し合う方式にしたと伝えられる。
 サミットに、開催に関する協定や憲章があるわけではない。無用だとの批判も浴びてきたが、首脳同士が腹を割って、を旨とするサミットはその後も毎年開かれてきた。各分野の閣僚会議も開かれるようになるなど、構えが大きくなってもいる。「もう、やめよう」という話にならないのには、それなりの理由があるはずである。
 70年代が経済サミットの時代なら、80年代は政治サミットの時代だった。変容のきっかけは、79年末の旧ソ連のアフガニスタン侵攻。G7首脳、つまりサミットのメンバーにレーガン米大統領、サッチャー英首相ら対ソ強硬派がそろったことも影響した。対ソ強硬姿勢は、核兵器削減を定めた初の条約である中距離核戦力全廃条約の締結という成果をもたらした、とも言われる。
やがて、ソ連は崩壊する。サミットは、それまでは敵だったソ連の支援に動く。91年のロンドン・サミットでは、G7首脳とゴルバチョフ・ソ連大統領との会談が実現。ソ連の国際通貨基金(IMF)と世界銀行への特別加盟に道を開いた。ソ連崩壊に伴う世界的規模の混乱を回避すべく機能した、ということでもある。
 冷戦終結後のサミットは、地球規模の課題、例えば経済のグローバル化や地球環境の問題への対処が重みを増してきた。冷戦終結で喧伝(けんでん)された「資本主義の勝利」に修正が必要になってきた、ということでもある。
 首脳同士が議論するにとどまらず、各国の市民が国境を超えて連携し、サミットを動かそうという時代に入った、と見ることもできる。市民がサミットに求めてきたものは、国益のぶつかり合いではなく、公正な世界である。

市民も求め、関与する
 例えば99年にドイツで開かれたケルン・サミットでは、重債務貧困国の問題が問われた。世界中から集まった市民が“人間の鎖”となって会場を取り巻き、結果として、先進国が総額700億ドルの債権を事実上、放棄するという踏み込んだ救済策を引き出した。
 非政府組織(NGO)の積極的な提言を背景として、地球環境の問題も、近年のサミットで大きな成果を残してきた。
 昨年のドイツ・エルマウでのサミットでも議長のメルケル首相が温暖化対策を最重要議題と位置付け、首脳宣言に強い目標を盛り込んだ。その流れが同年末、国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)でのパリ協定採択につながっている。

伊勢志摩サミットまであと1カ月。今回は何が生まれるのか。
 中国経済の減速が影を落とす世界経済の問題、テロ対策のほか、議長を務める安倍晋三首相は中国の海洋進出や北朝鮮の問題に意欲を示している。G7として足並みをそろえるべきものは、それだけではない。
 サミットの関連行事として、参加7カ国の若者が参加するジュニアサミットが三重県桑名市で開かれ、15〜18歳の各国代表28人が26日、「桑名コミュニケ(声明)」を発表した。
 経済格差の問題では「富が一握りの人に集中する傾向があり、政治不信や過激なナショナリズムが高まっている」として公平な社会の実現を求め、地球温暖化対策では「カーボン・プライシング(炭素価格制度)の仕組みを導入し、再生可能エネルギー技術などへの投資を促せ」と提言している。言いっ放しにさせては、なるまい。

次の時代を考える
 5月23、24日には、内外のNGO、NPOが連携し、災害、持続可能な開発目標など15のテーマで提言発表を行う「市民サミット」も同県四日市市で予定されている。
 麓には、次の時代を懸命に考える市民の声が響いているのである。どれだけくみ取れるか。構えばかりが仰々しく麓の声が頂に届かぬようでは、サミット開催の意義は薄れていくだろう。

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