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【16.02.18】 「失ってはならない景観」鞆の浦の景観 朝日社説が今日言及

景観保護を前面に掲げた住民運動が「動き出したら止まらない」と言われる公共事業を頓挫に追い込んだ。

広島県福山市の景勝地・鞆の浦の一部を埋め立て、橋を架ける計画を県が完全撤回した。
古くから瀬戸内海の「潮待ちの港」として栄えた鞆の浦には、雁木と呼ばれる階段状の船着き場や常夜灯のほか、幕末に坂本龍馬も立ち寄った風情ある街並みが残る。宮崎駿監督の映画「崖の上のポニョ」に登場する町のモデルとしても有名だ。
広島県が埋め立て架橋計画をまとめたのは1983年。反対する地元住民らは訴訟で対抗した。一審の広島地裁は2009年10月、「鞆の浦の景観は、国民の財産ともいうべき公益だ」として、計画を差し止めた。それから6年余り、控訴していた県と住民側が訴訟終結で合意に達した。
景観保護を前面に掲げた住民運動が「動き出したら止まらない」と言われる公共事業を頓挫に追い込んだ。画期的な一例になったといえる。
鞆の浦の論争が浮き彫りにしたのは、歴史がはぐくんだ景観と、そこで暮らす住民の利便性を両立させることの難しさだ。
鞆の町を貫く県道は極めて狭い。観光客の車も多く、混雑が住民の悩みだ。過疎化も深刻で、1960年代に1万3000人を超えていた人口はいま5000人に満たない。「新たな橋で混雑を解消し、町の活性化を」。多くの住民が架橋計画にそういう期待を寄せたことも事実だった。
ただ、鞆の浦の景観は、古代以来の人の営みの所産であり、一度壊せば取り戻せない。海をほぼ2ヘクタール埋め立て、港を横切る橋を架ける計画は、その点で配慮が乏しかったといわざるをえない。撤回は妥当だ。
良好な景観を守る大切さは、今は多くの人がうなずくところだろう。2004年には景観法が制定された。法に基づき、建物などへの規制を盛り込んだ景観計画をつくった自治体は昨年9月現在で492に達する。
もっともそれまでの日本では景観よりも開発が重んじられる傾向が強かった。鞆の浦の論争はその移行期に重なった結果、不幸にも長期化した。
広島県は架橋計画に代わるいくつかの案を示しているが、住民の賛否は分かれる。長年にわたってもつれた糸を解きほぐすのは容易ではない。決着を急ぐことなく、住民との話し合いを軸に事を進める必要がある。
景観と利便性向上の要請がぶつかる事態は今後もさまざまな地域で起きうる。「失ってはならない景観」について地域全体で認識を共有したうえで、どこまで変えるかは、住民の意見をもとに詰めていく。そういう丁寧な合意形成が欠かせない。

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