活動日誌−活動日誌

【15.04.23】 今日の新聞各紙の社説では「川内原発仮処分」と「安倍首相のバンドン会議での演説」をテーマにしている。

鹿児島地裁と福井地裁の判断。どちらを信じるべきなのか。規制基準はどうなっているのか。原発の安全神話は崩れている。トイレなきマンションは止めるべきです。

中日新聞の社説より

 鹿児島地裁は、原発の新たな規制基準は適切などとして、九州電力川内原発1、2号機の再稼働をよしとした。福井地裁とは正反対の判断だ。どちらを信じるべきなのか。疑問は一層深まった。
 いったいどちらが本当なのか。
 司法の判断が真っ二つに分かれたのは、つまるところ規制基準の見方による。
 福井地裁は先週、高浜原発(福井県高浜町)の再稼働差し止めを認めた中で、3・11を踏まえて定められた原子力規制委員会の新規制基準を「緩やかすぎる」と否定した。
 そこで川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の場合にも、規制基準の用いる基準地震動(想定される最大の揺れの強さ)の妥当性が、第一の争点になった。
 鹿児島地裁は、合理性を認めた上で、基準地震動の適切さと、「耐震安全上の余裕はある」とする九電側の主張を受け入れた。
 一方、火山地帯の地域特性として、住民側は「巨大噴火の痕跡であるカルデラ(陥没地帯)が近くに五つもある」と噴火の危険を重視したが、地裁はこれを「カルデラ噴火の可能性は小さいと考える学者の方が多い」と一蹴した。
 規制委の基準に含まれない事故発生時の避難計画は「現時点において一応の合理性・実効性を備えている」とした。
 鹿児島県の試算では、原発三十キロ圏内の住民が自動車で圏外へ逃れるのに三十時間近くもかかるというのだが。
 全体的に、約二十年前に、最高裁が四国電力伊方原発訴訟(設置許可処分取り消し)で示した「安全基準の是非は、専門家と政治判断に委ねる」という3・11以前の司法の流れに回帰した感がある。
 だがそれは、もう過去のことであるはずだ。
 原発の安全神話は崩れ、福島は救済されていない。核廃棄物の行き場もない。3・11は、科学に対する国民の意識も変えた。
 多くの人は、原発や地震、火山の科学に信頼よりも、不信を抱いている。
 新規制基準は、地震国日本でどれほど頼れるものなのか。それに「適合」するというだけで、再稼働を認めてしまっていいものか。避難計画が不完全なままでいいのだろうか。
 司法判断が分かれた以上、規制委や政府は国民の視点に立って、その不信と不安をぬぐい去るよう、より一層、説明に努めるべきではないのだろうか。

安倍首相は「植民地支配と侵略」自身の言葉でおわびを語るべきです。

朝日新聞社説より

 「未来への土台は、過去と断絶したものではありえない」。安倍首相は、自らのこの言葉を忘れるべきではない。
 アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議での安倍首相のきのうの演説は、肩すかしに終わった。
 首相は、60年前に採択された「平和10原則」の一つである「侵略行為の抑制」を引用し、「この原則を、日本は先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と述べるにとどめた。
 10年前の会議では、小泉首相が戦後50年の村山談話を踏襲し、「わが国はかつて植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と表明。この表現はそのまま戦後60年談話に生かされた。
 きのうの首相演説は、歴史認識の表明に主眼があったわけではない。ただ、10年前の経緯もあり、安倍氏が日本のかつての過ちにどのように触れるのか、来週の米議会での演説とともに注目を集めていた。
 首相は会議に発つ前夜のテレビで、村山談話について「引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろう」と述べ、戦後70年の安倍談話には「植民地支配と侵略」「おわび」などは盛り込まないことを示唆した。きのうの演説はこれに沿った内容だ。
 この考えには同意できない。
 「侵略の定義は定まっていない」といった言動から、首相は村山談話の歴史観を本心では否定したいのではと、アジアや欧米で疑念を持たれている。
 引き継いでいるからいいだろうとやり過ごせば、疑念は確信に変わるだろう。表立って批判されなくとも、国際社会における信頼や敬意は損なわれる。
 それがいったいだれの利益になるというのか。
 一部の政治家が侵略を否定するような発言を繰り返すなか、村山談話は国際的に高く評価されてきた。その後のすべての首相が引き継ぎ、日本外交の基礎となった。率直に過去に向き合う姿勢が、「未来への土台」となったのだ。それをわざわざ崩す愚を犯す必要はない。
 首相はきのうの演説後、中国の習近平主席と5カ月ぶりに会談した。両国関係を発展させ、アジアや世界の安定と繁栄に貢献をしていくことで一致したという。歓迎すべき流れだ。
 そうであればなおさら、首相はごまかしのない態度で過去に向き合う必要がある。「植民地支配と侵略」「おわび」を避けては通れない。

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