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【14.08.06】 広島・長崎被爆69年の新聞社説

中日社説は、原爆忌に考える-いつもの夏と違って。朝日社説は、被爆69年の夏に―核兵器の違法化・禁止を。赤旗主張は、原爆症認定制度の抜本改定を。

【中日社説】
今年の長崎平和宣言には、集団的自衛権への懸念が織り込まれます。
長崎市の田上富久市長は、9日の平和祈念式典で読み上げる長崎平和宣言で、集団的自衛権の行使容認に触れ、戦争につながるものとの懸念を表明します。
長崎の平和宣言は、起草委員が集まって、議論しながら内容を詰め、一編の文章に編み上げる。
委員は学識者、被爆者、関係団体の代表など15人。今年は3回の会合が開かれました。
昨年は、式典に列席した安倍首相の面前で、「被爆国の原点に返れ」と政府を批判しました。
今年5月の1回目の会合で長崎市が示した文案には「集団的自衛権」の6字はありませんでした。
政権を支持する議員が多くを占める市議会との関係が、市長を悩ませたと言われています。しかし委員の間から「避けては通れない」との声がこもごも上がり、市長は受け入れました。
当時の政府がもう少し早く降伏を決断していれば、そもそも戦争など始めなければ、原爆は落ちていない。広島と長崎は愚かな政治の犠牲になった。だから今、政権にもの申す権利がある。
自衛の名目で始めた戦争が最後にどこへ行き着くか、世界中でヒロシマとナガサキだけが、知りすぎるほど知っている。今の為政者たちに足りない、圧倒的な経験知を持っている。だから、訴える義務もあるのだと。

【朝日社説】
♪リメンバー ヒロシマ・ナガサキ
声楽家の佐藤しのぶさんが、昨年発表した曲「リメンバー」(なかにし礼作詞、鈴木キサブロー作曲)を各地のコンサートで歌っている。
なぜ、リメンバー(覚えておこう)なのか。もともとは核兵器廃絶を訴え続けている芸術家オノ・ヨーコさんが、被爆国日本から世界に発信すべき言葉として口にした。「だって、覚えていない人、多いでしょ」と。
ノーモアと言う前に、世界の人々に原爆の悲惨さを知ってほしい。思い起こしてほしい。
それは、被爆者らが長年、世界に訴え続けてきた痛切な思いと重なる。国際政治の冷徹なかけひきや核軍縮をめぐる綱引きのなかで、ともすると、かき消されがちだった声でもある。
だが、被爆69年の今、核の非道が改めて注目されている。
「人道に反する兵器であることを根拠に、核兵器を禁止できないか」。核廃絶を求める国々による、そんな動きが急速に高まっているからである。
過去2年間、核を巡る国際会議が4回開かれた。非人道性に関する共同声明がその都度、提案され、賛同国は16、34、80、125と膨らんだ。そして今年2月、メキシコのナヤリット。核の非人道性を問うこの会議に5大国は参加しなかったが、146もの国が集まった。
20世紀後半、人類は資源の大量消費と枯渇、地球温暖化といった難題に直面した。人類が生き延びるには、日々の活動が一部制約されてもやむを得ないと考えられるようになってきた。
安全保障にも同様な感覚が必要だろう。人類と文明を滅亡のふちに追いやるに十分な核兵器が、依然として頭の上にぶら下がっているのは放置できない。
核兵器に関しては、核不拡散条約(NPT)が保有国を5大国に限り、5大国は誠実に核軍縮を進めることを定めている。だが、思うような成果は上がってこなかった。核で国の安全を確保する「核抑止」の考え方が染みついているからだ。
ならば原点に返り、非人道性を根拠に核兵器を違法化していくことだ。たとえば核の先制使用の禁止から入り、さらに使用全般を人道法上違法化して、将来の廃絶につなげる。化学兵器が使用禁止から、全面禁止へと進んだことを思い起こしたい。
日本政府は核の非人道性を批判する共同声明について、賛同を3度見送った。広島、長崎両市長をはじめ、市民の側が「被爆国の立場、核廃絶を求める政策と矛盾しているではないか」と政府の対応を強く非難した。4度目にやっと姿勢を変えた。

【赤旗主張】
日本被団協は今、原爆症認定制度の抜本改定を求めています。
同制度は、被爆者の病気や障害が原爆による放射線に起因し医療を必要とすると厚生労働大臣が認定した場合、その病気の医療費全額を国が負担するとともに、「医療特別手当」を支給するものです。
しかし、その認定にあたり、爆心地から被爆地点までの距離や病気の種類などに厳しい基準が設けられてきました(例えば、がんの場合で爆心地から約3・5キロ以内など)。このため、爆心地から離れた場所で被爆した「遠距離被爆者」や、原爆投下後、市内に入った「入市被爆者」など数多くの被爆者が認定を却下されてきました。しかも、却下された被爆者が起こした裁判で原告勝訴の判決が次々出ているのに、政府は制度の抜本的な見直しに背を向け続けています。
日本被団協は、司法に断罪されている現行制度は廃止し、「被爆者健康手帳」(被爆時に一定の地域にいた人などに交付)を持つ被爆者全てに「被爆者手当」を支給した上、病気や障害の程度に応じて加算する制度を創設するよう求めています。
いつ原爆症が出るかと日々思いわずらい、就職や結婚などで差別に苦しみ、子どもを産むことにも恐怖を感じ、わが子や孫が体を壊せば、「原爆のせいではないか」と自分を責める―。こうした被爆者の苦悩に報いるためにも、制度の抜本改定は緊急の課題です。
現行の被爆者援護法を改正し、戦争によってもたらした原爆被害への国の償いと核兵器廃絶を目的に明記し、原爆死没者への補償などを行うことも切実です。政府が原爆症認定制度の改善に背を向けるのも、国の償いを拒否していることが背景にあります。来年は被爆70年です。被爆者の平均年齢は80歳に迫り、残された時間はわずかです。被爆者の願いに応える運動と世論をさらに広げる時です。

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