活動日誌−活動日誌

【14.06.12】 昨日の党首討論は酷かったらしい。

新聞の社説から見ると、

党首討論 2014年06月12日

1、論争なき抜け殻の府(朝日新聞)
こんなことなら、もういらない。きのうの党首討論は、有権者にそう見切られても仕方がない惨憺たるものだった。
その空疎さは、幕を閉じようとしているいまの国会の姿を象徴している。
憲法にかかわる集団的自衛権の行使容認が大きな政治テーマとなるさなか、今国会初めての党首対決である。
野党第1党の党首として、安倍首相に何とか切り込みたい。民主党の海江田代表のそんな意気込みは、空回りに終わったとしかいいようがない。
海江田氏は、行使を認めたいのなら、憲法改正に訴えるべきだと首相に迫った。
首相はまともに答えない。「私には国民の命、平和な暮らしを守る責任がある」と、先の記者会見以来の決まり文句を独演会のように繰り返した。
集団的自衛権をどう考えるか、海江田氏は民主党内をまとめられていない。そればかりか、これを機に「海江田おろし」が噴き出しかねない情勢だ。そこを、首相から明らかに見透かされていた。
一方の首相は、党内外の批判を押さえ込み、なにがなんでも行使容認に持ち込もうとしている。はなから、その勢いには違いがあった。
海江田氏に続いた日本維新の会の石原共同代表は、14分の持ち時間をほとんど自身の歴史観の披瀝についやした。みんなの党の浅尾代表は、経済政策での連携を首相に提案して5分の討論を終えた。
党首討論は「国家基本政策委員会合同審査会」という。00年にいまの形で始まった趣旨は、首相と野党党首が個別の法案の賛否を越え、国の基本的な政策について論じ合うというものだった。
きのうの討論はどうみても、その名に値しない。
集団的自衛権をめぐる議論の主舞台はすっかり、自民、公明の与党協議に奪われた。
その場で公明党は、与党にブレーキをかける野党の役回りを演じている。その役割に意味はあるが、つまるところは仲間内での駆け引きだ。限界があるのは明らかだ。
圧倒的な勢力を持つ与党が、議場の外で仮想の与野党論争を繰り広げ、その結論が国の方針として決められていく。これでは国会は、論争が失われた、ただの抜け殻の府だ。
与党のなすがまま、野党は手をこまねいて終わるのか。会期末まで残り10日間。このままでは政党政治の意味にさえ、疑問符がついてしまう。

2、足元をみられた民主 (毎日新聞) 
安倍首相と民主党の海江田代表らの党首討論が行われた。集団的自衛権を行使できる憲法解釈変更を目指す首相を海江田氏は「憲法改正の申し出をすべきだ」と批判、首相は「(今の)憲法が国民の命を守る責任を果たせなくていいと言っているとは思えない」と反論した。
海江田氏が突いたポイント自体は重要だが、民主党内で行使の是非をめぐる見解が固まっていないことが迫力を決定的にそいだ。他野党に至っては討論の体すらなしていない。与党協議の緊迫をよそに国会では野党が足元をみられている。論戦がこの有り様では国民も落胆しよう。
国の行方にかかわるテーマが問われる中、今国会初の討論だ。ところが、海江田氏の発言は集団的自衛権をめぐる民主党の対応の説明から始まった。同党は「憲法解釈変更による行使一般には反対」とするが行使の是非をめぐり幅広い意見があるだけに、対決よりも言い訳を優先したと言わざるを得ない。
なぜ憲法改正によらないのかという手続き論は海江田氏が首相を追及できる攻めどころだった。首相は閣議決定による解釈変更を目指す考えを強調したが踏み込んだ説明はせず、はぐらかした。武力行使につながる海外での戦時の機雷排除が戦死を伴う懸念を示した質問についても首相は危険そのものを正面から認めて理解を求めることはしなかった。
野党側の抱える事情や姿勢が首相にくみしやすいとの印象を与えたことは否定できない。首相は海江田氏を「民主党の立場がどこにあるのかがわからない」「民主党で早く議論がまとまることを期待する」と挑発してみせた。分党が決まった日本維新の会の石原慎太郎共同代表、みんなの党の浅尾慶一郎代表はもともと集団的自衛権行使に賛成だ。しかも討論では安全保障、経済政策でほとんど持論の開陳に終始し、政権との対決姿勢は見えなかった。
民主党内では来年秋まで代表の任期がある中、「海江田降ろし」と言われる代表選前倒しの動きが強まっている。相変わらずの内紛体質とはいえ、安倍内閣に立ち向かう野党のあり方が問われる中、海江田氏が野党第1党の党首としてふさわしいかどうかは、やはり厳しく吟味されなければなるまい。
集団的自衛権にしても、党内事情に甘えて集約を怠っているのではないか。海江田氏が「首相は演説して自分に酔っている」と討論で語ったように、言葉が踊るような首相の言動には危うさがつきまとう。だが、政権与党ときちんと対峙できぬ野党の弱さが国会論戦、ひいては政治の劣化を加速していることをもっと自覚すべきだ。

3、党首討論 安保論議が物足りない (中日新聞)
物足りなさは否めない。党首討論での集団的自衛権をめぐる議論である。平和国家を掲げてきた日本の安全保障政策の大転換となるにもかかわらず、追及も答弁も、期待に応えるものでなかった。
一月から始まった今の通常国会で初めての党首討論である。安倍首相は本会議や委員会に出席して答弁する機会が多かったとはいえ、党首同士が丁々発止の議論をする機会が会期末近くになるまでなかったのは残念だ。今後は、与野党が合意した月1回の開催ペースを守るべきである。
一番手の海江田民主党代表は「集団的自衛権の行使」容認問題に質問のテーマを絞った。首相は、政府が行使容認に踏み切る旨を通常国会会期末の今月22日までに閣議決定できるよう与党に指示しており、喫緊の課題だ。
海江田氏は、政府解釈で憲法違反としてきた集団的自衛権の行使を認めるなら「憲法改正を発議すべきだ」と主張し、解釈変更で行使容認に踏み切ろうとしている首相に「なぜ憲法改正の必要はないと考えるのか」と迫った。
首相は「アジア・太平洋の状況は厳しさを増している」などと答えたものの、なぜ解釈変更なのかという問いに明確には答えなかった。憲法改正か解釈変更かは集団的自衛権問題の根幹だ。首相は逃げずに答えるべきでなかったか。
もし、行使を認めなければ国民の命と暮らしを守れない状況が現実に迫りつつあるというなら、憲法九六条の手続きに従って改正を発議し、国民に問うのが筋だ。
「国民の命と平和を守る責任を担っている」(首相)からといって、政府が国会論戦を経て積み上げた憲法解釈を、一内閣の判断で変えていいわけがない。もし強行するのなら、憲法が権力を縛る立憲主義の否定にほかならない。
ただ、海江田氏も順序立てて論理的に追及したとは言い難く、首相の強弁を許してしまった。「自分の演説に酔っている」「首相でいることが安全保障のリスク」などと感情的に攻めるしかなかったのは、行使容認の是非をめぐり、党内で意見が分かれていることも一因なのだろうか。
安保政策の大転換となる集団的自衛権の行使容認問題が議論されている今ほど、国権の最高機関たる国会が政府に対するチェック機能を果たすべき時期はない。
野党第一党たる民主党がもし、その役割を全うできていないとしたら、海江田氏がまず取り組むべきは自らの足元固めである。

しんぶん赤旗は、事実を報道しただけで、今日は論評していない。

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