活動日誌−活動日誌

【18.01.01】 今年の政治・経済を考える新聞の社説

中日 明治150年と民主主義 年のはじめに考える 

明治150年といいます。明治維新はさまざまなものをもたらしましたが、その最大のものの一つは民主主義ではなかったか。振り返ってみましょう。
日本の民主主義のはじまりというと、思い出す一文があります。小説・評論家で欧州暮らしの長かった堀田善衛氏の「広場と明治憲法」と題した随想です(ちくま文庫「日々の過ぎ方」所収)。
明治憲法つくった伊藤
主役は伊藤博文。初代内閣総理大臣、枢密院議長として明治憲法起草の演説。渡欧し憲法とは何かを研究してきた。
起草演説の明治21(1888)年、伊藤47歳、明治天皇はなお若き36歳。
何しろ東洋初の憲法です。欧米に伍して近代国家をいかに創出すべきか。頭をふり絞ります。
そこで堀田の随想は、悩める伊藤をたとえばベネチアのサンマルコ広場に立たせてみる。
広場はベネチア共和国総督府の宮殿とサンマルコ大聖堂の並び立つ下。政治経済を行う世俗権力と聖マルコの遺骸をおさめる聖なる権威の見下ろす広場。
堀田はこう記します。
<重大事が起ったときに、共和国の全市民がこの広場に集って事を議し、決定をし、その決定を大聖堂が祝認するといった政治形式を、(伊藤は)一瞬でも考えたことがあったかどうか>
堀田は大聖堂の権威に注目し、同じ役割を皇室にもたせるべく明治憲法はつくられたと考えを進めるが、その一方で、こんな想像はできないでしょうか。
武士最下級足軽出身の伊藤が総理、公爵、枢密院議長へと上り詰めようと、彼は広場の民衆を果たして無視できただろうか、と。
強大な幕府の打倒は志士に加え豪農富商、それに民衆の支えがあってこそ実現したのです。幕末期の民衆は当然のように欧米に追いつこうとしていたのです。
民衆の側からみる歴史
歴史の多くは支配者の側から書かれます。そうであるなら民衆の側からでないと見えない歴史があるはずです。
支配者のいう民衆の不満とは、民衆にいわせれば公平を求める正当な要求にほかなりません。
維新をじかに体験してきた伊藤は、民衆の知恵も力も知っていたにちがいないと思うのです。つまり広場の意義もエネルギーも知っていたのではないか、と。
維新後、各地にわき起こった自由民権運動とは、その名の通り人民主権を求めました。
日本には欧州の広場こそなかったが、民主主義を求める欲求は全国に胚胎していたといっていいでしょう。
その延長上に明治憲法はつくられました。絶対的天皇制ではあるが、立憲制と議会制をしっかりと明記した。日本民主主義のはじまりといわれるゆえんです。
明治憲法はプロシアの憲法をまねた。プロシア、いまのドイツは当時、市民階級が弱く先進の英仏を追う立場でした。追いつくには上からの近代化が早い。国家を個人より優位に置く官僚指導型国家を目指さざるをえない。
国家優位、民主制度は不確立という、今から見ればおかしな事態です。広場は不用、もしくは悪用され、やがてドイツも日本も国家主義、軍国主義へと突き進んで無残な敗北を迎えるわけです。
むろん歴史は単純ではなく明治憲法は大正デモクラシーという民主主義の高揚期すら生んでいます。それはやはり社会を改良しようという民衆のエネルギーの発奮でしょう。
戦後、両国ともあたらしい憲法をもちます。
日本では“押し付け”などという政治家もいますが、国民多数は大いに歓迎しました。
世界視点で見れば、1948年の第3回国連総会で採択された世界人権宣言が基底にあります。人間の自由権・参政権・社会権。つまり国家優位より個人の尊重。長い時と多くの犠牲を経て人類はやっとそこまで来たわけです。
振り返って今の日本の民主主義はどうか。
たとえば格差という問題があります。広場なら困っている人が自分の横にいるということです。資本主義のひずみは議会のつくる法律で解決すべきだが、残念ながらそうなっていない。
広場の声とずれる政治
また「一強」政治がある。首相は謙虚を唱えながら独走を続けている。広場の声と政治がどうもずれているようだ。
社会はつねに不満を抱えるものです。その解決のために議会はあり、つまり広場はなくてはならないのです。
思い出すべきは、民権を叫んだ明治人であり、伊藤が立ったかもしれない広場です。私たちはその広場の一員なのです。

朝日 来たるべき民主主義 より長い時間軸の政治を 

現在の安倍政権になって6回目の新年を迎えた。近年まれな長期政権である。
しかし、与えられた豊富な時間を大切に使い、政策を着実に積み上げてきただろうか。
正味5年の在任で、例えば、社会保障と税という痛みを伴う難題に正面から取り組んだとはいえまい。持論の憲法改正も、狙いを定める条項が次々変わり、迷走してきた感が深い。
原因の一つは、国政選挙を実に頻繁に行ったことにある。

■場当たり的政権運営
政権を奪還した2012年12月の衆院選まで含めて数えると合計5回。ほぼ年に1回の勘定だ。3年に一度の参院選が2回あり、2014年と昨年はいずれも強引な衆院解散に打って出た。
選挙に向け、政策の看板も次から次へと掛け替えてきた。
誠に慌ただしい。
長期政権にもかかわらず、なのか、長期政権を狙ったがゆえに、なのか。皮肉なことに、安倍政権がよって立つ「時間軸」は、極めて短いのである。
それは日本政治の多年の弊ともいえるが、度が過ぎれば民主主義の健全さが失われる。
学界、経済界、労働界の有志の集まり「日本アカデメイア」などは昨年12月、「先進民主政はどこへ向かうのか?」と題するシンポジウムを催した。
ポピュリズムの広がりや既成政党の退潮といった欧米各国の現状が論じられる中、日本について指摘されたのは、やはり場当たり的な政権運営のあり方だった。
「政権維持が自己目的化し、長期的見通しや政権担当期間を通じてのプログラムがない」(飯尾潤・政策研究大学院大学教授)
その結果、何が起こるか。
シンポでは、財政再建や地球温暖化対策といった政策課題を解決する難しさが挙げられた。
長い時間軸の中で取り組まなければならないテーマである。今さえよければという姿勢では、まだ生まれていない将来世代に大きなツケが回る。
■シルバー民主主義?
短期志向になりがちな政治の一つの側面を表現するのが、「シルバー民主主義」という言葉だろう。
日本では有権者に占める高齢者の割合が高く、しかも、若い世代に比べて投票率が高い。その大きな影響力を、政治の側は気にせざるをえない。
結果として、社会保障が高齢者優遇に傾けば、世代間の格差は広がる。長期的には財政を圧迫し、将来世代に禍根を残す。
ところが、興味深いデータがある。亀田達也・東京大教授(実験社会科学)と同大大学院生の齋藤美松さんが昨年夏、東京都文京区の有権者2000人を対象にアンケートをした。
日本の財政赤字や地球温暖化といった「持続可能性」に関わる問題への関心は、高齢層の方が高かった。生まれていない「将来世代の代弁者」の役割を積極的に担う意欲についても、同じ傾向だった。
老人は子どもや大学生に比べ、近視眼的な判断をしにくいという先行研究にも触れつつ、亀田教授は「今の世代と将来世代との間の公平を実現する上で、高齢者の果たしうる役割はありそうだ」と話す。
だとすれば、政治がシルバー民主主義化するとしても、それはお年寄りのわがままというより、政治の側がいい顔をした結果にすぎない可能性がある。
目先の利益にかまける政治、時間軸の短い政治の弊害だろうか。
■われらの子孫のため
民意の「変化」を敏感に追う政治家に対し、政策の「継続」と一貫性にこだわる官僚。そんな役割分担は、官邸主導が進む中であやふやになった。
民主主義の時間軸を長くする方策を新たに考えなければならない。様々なアイデアが既に出ている。
財政再建でいえば、独立した第三者機関を置き、党派性のない客観的な専門家に財政規律を厳しくチェックさせる、といった提案がある。
若い人の声をもっと国会に届けるため、世代別の代表を送り込める選挙制度を取り入れてみては、という意見もある。
国政選挙が年中行事化しないよう、内閣の解散権を制限すべしという主張は、最近の憲法論議の中で高まりつつある。
「来たるべき世代に対する」国の責任を明記するのは、ドイツの憲法に当たる基本法だ。1994年の改正で、環境保護を国家の目標として掲げた。
こうした条項を日本国憲法は持たないが、将来への関心を欠いているわけではない。
前文には「われらとわれらの子孫のために……自由のもたらす恵沢を確保し」とある。
11条は「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とうたう。
先を見据えよ。憲法は、そう語っているように思われる。

毎日 論始め2018 国民国家の揺らぎ 初めから同質の国はない 

2018年が始まった。
北朝鮮の核・ミサイル危機は越年し、トランプ米政権の振りかざす大国エゴも収まりそうにない。国家が人間の集合体以上の特別な意思を持って摩擦を生み続けている。
日本にとって今年は1868年の明治維新から150年にあたる。その歩みにも、日本の国家意思と国際社会との衝突が刻まれている。
あるべき国家像とは。自らを顧みて問いかけが必要な節目である。
明治を特徴づけるのは、身分制を廃して国民国家を目指したことだ。ただ、人びとが自動的に「国民」になったわけではない。明治政府は国民の「まとまり」を必要とした。
機軸をめぐる試行錯誤
井上ひさしがテレビドラマ用に書いた戯曲「國語元年」は、国民誕生の物語でもある。舞台は明治7年ごろの東京。文部省に勤める長州出身の主人公はこんなセリフを吐く。
「この日の本の国に、全国統一話し言葉がノーては、軍隊が、ヘーカラ御国がひとつにまとまらんチューわけでアリマスヨ」
明治憲法を起草した伊藤博文は、「国家の機軸」を天皇に求めた。欧州のキリスト教に相応するのは「皇室のみ」と考えたからだ。こうして憲法の施行直前に発せられた教育勅語は天皇を精神的支配者にした。
三谷太一郎・東京大名誉教授は「一般国民に圧倒的な影響力があったのは憲法ではなく教育勅語だ」と指摘する。昭和期の軍部はそこにつけ込み、日本を破滅に導いた。
国民国家は、言葉や習俗を共有する人びとで国家を形作る考え方だ。ファシズムを招かないよう、戦後の日本やドイツは民主主義の国民国家として再スタートを切った。
民主主義は、一定の区域内の住人が「自分たちのことは自分たちで決める」ことを目的とする。その意味で民主的な国民国家は、今でも有効な統治モデルだろう。
ところが、このところ私たちが世界各地で目にするのは、国民国家の揺らぎやほころびである。
筆頭は米国だ。トランプ大統領が打ち出す移民制限や白人重視策は、建国以来の理念を根底から揺さぶっている。「米国ファースト」に名を借りた多国間合意の軽視も、国論を分裂させたまま進められている。
現代の国家は、国家主権、民主主義、グローバル化のうち、どれか一つを犠牲にせざるを得ないと言われる。相互に矛盾が生じるためだ。国際政治のトリレンマという。
だが、グローバル化に背を向けて国家主権に固執するトランプ政権下の米国は、自国の民主主義をも傷つけているように見える。
欧州に目を向けると、スペイン・カタルーニャの独立宣言が国家論に一石を投じた。英国はスコットランドの、ベルギーはフランデレンの独立問題をそれぞれ抱える。
そこから浮き出るのは、近代化の過程で国民国家の枠内に押し込まれていた民族や地域の違和感だ。
日本も例外ではない。沖縄は明治初期の琉球処分で日本に統合された歴史を持つ。今も重い基地負担に苦しむ沖縄を追い立てるような風潮は、本土との一体感をむしばむ。
民主主義の統合機能を
世界の民族数は2000から3000に及ぶという。国家の数は200弱だから、国民=単一民族ということはあり得ない。1民族1国家を目指すのも現実的ではなかろう。
経済のグローバル化に伴う所得格差の拡大や、欧州での移民の流入などが、国民国家の枠組みにマイナスの影響を与えているのは確かだ。
しかし、ここで私たちが再認識すべきなのは、民主主義の持つ統合機能ではないだろうか。
人間の考え方は一様ではない。階層や生い立ち、地域、年代、性差によって意見は異なる。そして違いがあるからこそ、民主主義が必要とされる。互いに異論を認め合い、最終的には全体の結論を受け入れていくプロセスに値打ちがある。
トランプ流で民主主義の参加者に過剰な同質性を求めていけば、国の土台は揺らぐ一方だろう。
今年は平成の幕切れに向けたカウントダウンも本格化する。「国民統合の象徴」であり続ける道を天皇陛下が熟慮された結果として、来年4月末の退位が決まった。
初めから同質の国家はない。だから政府も国民も努力が要る。違いがあっても共同体のメンバーとして手をつなぐことの大切さを、昨今の国際情勢が教えている。

読売 緊張を安定に導く対北戦略を 

◆眠っているカネは政策で動かせ◆
70年余り続く平和と繁栄を、どう守り抜くのか。周到な戦略と、それを的確に実行する覚悟と行動力が求められる年となろう。
北朝鮮による緊張が高まっている。広島型原爆の10倍を超える威力の核実験を行い、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射した。核の小型化と弾頭の大気圏再突入の技術があれば、米本土への核攻撃能力を手にすることになる。
冷戦後、圧倒的な軍事力を持つ米国は、ロシアや中国との「核の均衡」を維持しつつ、世界の安全保障を主導してきた。米国を敵視する北朝鮮は、自国の独裁体制維持を目的に、安定した国際秩序を崩そうとしている。

◆戦後最大の「まさか」
国連制裁と中国を含む各国の独自措置によって、北朝鮮は貿易が制限され、孤立化が進む。米国の軍事的圧力も受けている。それでも北朝鮮の暴走を止められるか、国際社会は確信を持てない。
「すべての選択肢がテーブルにある」とする米国の軍事力に解決を委ねるのか。逆に北朝鮮が暴発するのか。一触即発の中で、偶発的な衝突もあり得よう。
朝鮮半島全体に戦闘は広がり得る。北朝鮮の中距離弾道ミサイルが一挙に破壊されなければ、日本へ飛び火する可能性がある。戦後最大の「まさか」に対し、不安感が広がるのは、無理もない。
脅威を「国難」と位置づける以上、日本政府の責務は重い。自衛隊と米軍の連携を深め、ミサイル防衛を着実に増強すべきだ。万一を想定し、国民や在韓邦人の避難・保護、朝鮮半島からの避難民対策に万全を期すべきである。
言うまでもなく、目指すのは、戦火の回避と外交を通じた解決である。米国、韓国との緊密な協調の下、北朝鮮経済の生命線を握る中国を動かす手立てを粘り強く追求してもらいたい。
北朝鮮の核戦力を一部でも残すような中途半端な決着は、将来への禍根となる。
核拡散防止条約(NPT)に基づく核保有国である米露中英仏以外に、インド、パキスタンが核を開発し、イスラエルも核を保持したとされる。どの国も国際社会の懸念を高めないよう、核の運用で抑制的な姿勢を堅持している。
北朝鮮は全く異なる。核を恫喝(どうかつ)外交の道具に使い、数々の国際約束を平気で破ってきた無法国家である。制裁が解かれれば、外貨稼ぎのため、技術を中東やテロ組織に売り渡しかねない。世界的な厄災を招くことになるだろう。
一方で、冷静に北朝鮮を見る目も持ちたい。国内総生産(GDP)は、国連の推計だと、約160億ドル(1兆8000億円)だ。1人当たりでは、日本の50分の1以下にとどまる。
金正恩朝鮮労働党委員長は、核戦力強化と経済再建の二兎(にと)を追う「並進路線」を掲げる。父正日氏の「先軍政治」と異なり、軍備と民生の両立という、困難な道を選んだ。体制の動揺から自壊する可能性は小さいとは言えまい。
北朝鮮を封じ込めつつ、暴発に追い込まないよう、駆け引きによって核ミサイル計画を放棄するための対話を迫る。それには、国際包囲網の維持が欠かせない。長期戦を覚悟する必要もあろう。

◆「キューバ」を教訓に
1962年、世界を震撼(しんかん)させたキューバ危機は、ソ連による核兵器の持ち込みがきっかけだった。ケネディ米大統領は、ソ連に軍事的圧力をかけつつ、フルシチョフ首相と水面下の交渉を粘り強く重ね、核の撤去にこぎつけた。
核戦争を瀬戸際で回避できたのは、ケネディ氏が外交的解決を目指す姿勢を貫き通したからだ。
北朝鮮危機を米国主導で乗り切り、地域に安定をもたらすには、トランプ大統領が、衝動的な行動を自制し、しかも、安易な譲歩に応じないことが必須である。
トランプ氏の言動に予測できない面がある以上、マティス国防長官やマクマスター国家安全保障担当補佐官ら軍事専門家の支えと、日本など同盟国による適切な助言と働きかけが今後も不可欠だ。
米国とは、首脳間に加え、閣僚や事務レベル、米軍と自衛隊の制服組同士の関係も深めたい。東アジア情勢が劇的に変わらない限り、日米同盟は、日本の外交・安保政策の基軸であり続ける。
憂慮すべきは、米国第一主義を掲げるトランプ政権の内向き姿勢が国際関係に及ぼす影響だ。
環太平洋経済連携協定(TPP)を脱退した米国が、2国間で貿易不均衡を強引に解消しようとすれば、相手国の反発で相互の貿易や投資は縮小しかねない。
米国が繁栄を維持するには、関係国と協調し、多国間の経済秩序を支えるしかない。そうトランプ氏に伝えていく必要がある。
富強路線を突き進む中国との外交は、微妙なかじ取りが要る。
無用な対立は、日中双方の得にも、東アジアの安定にもつながらない。信頼醸成のためには、日本が中国の動向を見据えつつ、必要に応じて注文をつける方が、迂遠(うえん)に見えても有効な手段である。

◆中国との信頼醸成図れ
巨大経済圏構想「一帯一路」が排他的にならないよう、日本が協力することは、戦略的な観点から理解できる。中国が、途上国支援の経験やノウハウが豊富な日本と手を結ぶメリットは明らかだ。
対中交渉には、国力の裏打ちが欠かせない。日本が防衛力と経済力を保持することで、中国への発言力が増す。米国や豪州、インドなど、価値観を共有する国々と足並みをそろえて主張すれば、中国も無視することはできまい。
中国が包囲網と警戒しないよう国際連携の利点を訴えたい。
80年代の日中蜜月は、最高指導者トウ小平氏と日本の政財界人らの太いパイプの賜物(たまもの)だった。両国の力関係が様変わりし、かつての状態には戻れないが、権力基盤を固めた習近平国家主席と直接話し合う重要性は変わらない。
まずは、中断している両国首脳の相互往来に、道筋をつけるべきである。会談を重ねて立場の相違を埋め、互恵のための妥協点を探ってもらいたい。
国内経済に目を転じれば、良い指標は数多い。雇用と株式市場は絶好調で、多くの企業の収益は上り調子だ。一方で、家計と企業にはカネが積み上がっている。
家計が保有する現金は、1年間で5兆円増えて83兆円となった。預貯金と合わせると25兆円多い943兆円だ。金融資産全体で83兆円増の1845兆円に達する。
家計と、金融を除く民間企業の金融資産を合計すれば、3000兆円超という途方もない額だ。
個人は消費を控え、企業も従業員の待遇改善や設備投資を抑えている。これでは、賃上げが消費を押し上げ、さらに賃金アップにつながる好循環は実現しない。
安倍首相が最優先の公約とするデフレ脱却を果たすには、個人と企業の節約マインドを変えねばならない。旧来の常識にとらわれず、眠っているカネを動かす大胆な政策を展開すべきだ。

◆国民負担議論の好機
日銀の異次元の緩和は、当初2年間がメドだったが、ずるずる延びて5年になる。日銀は発行済み国債の4割以上を保有する。マイナス金利は、金融機関の経営に重くのしかかっている。
このまま続けて問題ないのか。今春の総裁人事を前に、政府・日銀は金融政策を総括すべきだ。
多くの国民の間には、少子高齢化に伴う、将来への不安感が蔓延(まんえん)している。それは、若年層ほど切実である。医療・介護・年金制度の長期的な安定こそが、政府が旗を振る「人生100年時代」を安心して迎える前提となる。
社会保障の給付増に合わせ、消費税は、2019年10月に10%とした後、さらなる引き上げが必至だ。新たな「社会保障と税の一体改革」の策定が急務である。
この6年間、衆参両院選が計5回行われた。選挙に勝つため、与党は消費増税を2度延期し、バラマキ色の強い政策を掲げた。
財政健全化の先送りは、もう許されない。国政選挙の予定がない今年は、国民負担を議論する好機だ。秋の自民党総裁選で3選を目指す首相と挑戦者は、社会保障と財政の安定策を競ってほしい。
政治に求められるのは、国民の不安を取り除くとともに、未来への展望を開くことである。

日経 順風の年こそ難題を片付けよう 

新年を迎え、目標に向けて決意を新たにした方も多いだろう。2018年をどんな年にしたら良いのか。政府と企業の課題を考えてみよう。
「世界経済は2010年以来なかったような、予想を大きく上回る拡大を続けている」。米ゴールドマン・サックスは2018年の世界経済の実質成長率が2017年の3.7%から4.0%に高まるとみている。地政学リスクなどあるが、久しぶりの順風である。
財政・社会保障の姿を
2008年のリーマン・ショック以後、世界経済は停滞が続いた。米欧や中国で潜在成長率が下がり、貿易の伸びが低下する「スロー・トレード」も目立った。それが2016年後半あたりからはっきりした回復をみせている。
先進国の大規模な金融緩和によって、株や不動産などの資産価格が上昇し、企業収益が拡大、投資につながる循環が動き出した。
日本の景気も7〜9月まで7四半期連続のプラス成長を記録し、2017年度は2%近い成長率を見込む声が多い。少子高齢化による人手不足が省力化投資を促している。上場企業は2018年3月期に最高益を更新する見通しだ。
国内政治も波風の少ない年である。衆院選は終えたばかりで、参院選も2019年夏までない。秋に自民党総裁選があるが、党内に安倍首相の座を脅かす有力な対抗馬はいない。総裁3選ならば2020年の東京五輪・パラリンピックをまたぐ超長期政権が現実味を帯びる。
国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は「日が照る間に屋根の修理をしよう」と呼びかけている。J・F・ケネディの言葉を引用したもので、経済が順調な間に手間のかかる改革をやり遂げることの大事さを指摘する発言だ。「何かが政治的に難しいからといって避けて通れるわけではない」
2018年は日本の「明治150年」にあたる。150年は前半が明治維新から太平洋戦争、後半が戦後復興からバブルを経て今に至るまで、と画然としている。来年に改元を迎えるこの時に、政府が最優先でやるべきことは何か。
超高齢化社会を乗り切る社会保障と財政の見取り図をきちんと描くことにつきる。近代国家の建設や経済復興にも匹敵する難題だが、夏に政府が決める骨太方針で正面から取り組んでほしい。
団塊の世代が全員、後期高齢者になる2025年以降、社会保障支出の膨張を抑えるのはどんどん難しくなる。今後20〜30年は生産年齢人口は減るのに後期高齢者は増え続ける時代だ。健康寿命が延びているのに、従来の年齢区分で高齢者への社会保障給付を優遇する仕組みは時代遅れである。
65歳以上の労働力率も高まっている。就労機会をさらに確保して、年金の支給開始を段階的に70歳まで延ばすにはどうしたらいいか、総合対策を検討したらどうか。
2019年には消費税率の10%への引き上げを控えているが、問題はその先だ。消費増税がデフレの再来や円高進行をもたらさないか注意しながら、「緩やかで継続的な税率上げ」を進める知恵がいる。
あわせて、財政との一体化が進む金融政策でも用心深い対応が必要だ。米欧が踏み出した異次元緩和の出口について、日銀の黒田総裁はデフレ心理の払拭を最優先する姿勢を示している。
雇用改革も待ったなし
春の任期切れで黒田氏が続投しても新総裁が生まれても、課題は同じだ。経済がどうなったら、どの順番で金融政策を見直すのか。事前に市場に対してメッセージを送ることを忘れてはならない。
日本経済の活力は、政府の仕事だけで高まるものではない。企業にも大いに努力を求めたい。
積み上がった手元資金を新技術を生む投資に振り向け、従業員にも手厚く分配すべきである。
日本企業による画期的な製品やサービスが久しく出ていない。デジタル化の時代はアナログ時代と異なり、失敗を恐れず、会社の内外の人材を取り込み、迅速に動くことが欠かせない。
過去の日本経済の低迷を振り返ると、たこつぼともいえる年次・年功主義の限界が浮かび上がる。
高度成長期型の新卒一括採用をいつまで続けるのか。流動性の高い労働市場をつくれるかどうか。待機児童対策などと一体で進める女性就労の促進と合わせ、人事・労務改革も待ったなしだ。
2019年は天皇陛下の退位と改元、統一地方選挙と参院選、20カ国・地域(G20)首脳会議の議長国など行事が目白押しである。その前に片付けられるかどうか。10年後の日本はそれで決まる。

最後に、しんぶん赤旗 2018年の門出 歴史をすすめ未来ひらく年に

2018年を迎えました。日頃のご購読、ご支援に感謝し、新年のご挨拶を申し上げます。
内外ともに歴史をすすめる本流と、それに逆らう動きとの対決が鋭さを増す中での年の始まりです。昨年の総選挙を経て第4次安倍政権となりましたが、内政でも外交でも行き詰まりは深刻です。「安倍改憲」との闘いは重大局面です。沖縄県では年頭の名護市長選を皮切りに県知事選など重要選挙が相次ぎます。この間の国政選挙を通じて培われた市民と野党の共闘の絆をさらに発展させ、政治を前にすすめ未来を開く年にしようではありませんか。
「現在の安倍政権の安保政策について、一番タカ派だと思われている私が心配している」「選挙に勝ったら時の為政者は何でもできる、という風潮ができつつある」
昨年末発売の雑誌に相次ぎ掲載された自民党ベテラン政治家の警告です。総選挙で自民党と公明党は3分の2の議席を獲得したものの、安倍首相の政治的基盤が強まったとはいえないのが内実です。
政権復帰後から5年、首相は「国民から力強い支持をいただいた」と自慢しますが、国民の実感からはあまりにかけ離れた認識です。なにより安倍首相の政治姿勢への不信は払拭されていません。「森友」「加計」の国政私物化疑惑は総選挙後の国会でも首相はまともに説明せず、どの世論調査も疑念の声が圧倒的多数です。経済政策「アベノミクス」を続けても、潤うのは大企業で、暮らしはよくならず破綻は明白です。北朝鮮の核・ミサイル開発への対応は、軍事力行使を辞さないトランプ米政権への追随ぶりを際立たせ、無策が危機を高めています。
民意無視の強権姿勢の最たるものは改憲への強い執念です。首相が持ち出した「9条に自衛隊を書き込む改憲案」は国民の多くが反対なのに、今年の国会での改憲発議をもくろみます。発議を阻む世論を急速に広げることは、文字通り年頭からの焦眉の課題です。
総選挙で日本共産党は議席を後退させる残念な結果となりましたが、市民と野党の共闘勢力が議席を大きく伸ばすとともに、次につながる重要な成果を得ました。野党や市民、労働組合とも従来にない信頼・協力が築かれる経験が全国に生まれました。分断と逆流が持ち込まれる中、共闘の再構築を断固追求した共産党の決断と奮闘に、多くの方から評価をいただいたことは、私たちの大きな励みです。
共闘は、原発ノーや戦争法反対などの闘いから市民がつくり出したものです。政治を変えるにはこの道しかありません。多くの人と手を携え共闘の道をとことん追求し、安倍政権を打倒し政治を変える決意です。そのためにも、どんな情勢でも共闘の前進と日本共産党の躍進が同時に実現できる強く大きな党が必要です。
「しんぶん赤旗」は今年2月1日が創刊90周年です。戦前の1928年に誕生した「赤旗」は、反戦平和、自由と民主主義、国民の権利と生活擁護の旗を掲げ続けました。7月には日刊紙電子版も発行予定です。「共闘の時代」に、“タブーなく真実を伝える国民共同の新聞”としての役割を深く自覚し、さらに多くの方に希望と勇気を届けるため力を尽くします。

この1年頑張ろう!!!!!

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