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【17.09.10】 2つの桐生、中日は桐生悠々と防空演習、読売は桐生9秒98

週のはじめに考える 桐生悠々と防空演習 中日社説

北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、国内では避難訓練も行われています。かつて関東上空での防空演習を嗤(わら)った桐生悠々なら何と評するでしょうか。
きょう9月10日は明治後期から昭和初期にかけて健筆を振るった反骨のジャーナリスト、桐生悠々の命日です。太平洋戦争の開戦直前、1941(昭和16)年に亡くなり、76年がたちます。
本紙を発行する中日新聞社の前身の一つである新愛知新聞や、長野県の信濃毎日新聞などで編集、論説の総責任者である主筆を務めた、われわれの大先輩です。

非現実の想定「嗤う」
新愛知時代には、全国に広がった米騒動の責任を新聞に押し付けようとした寺内正毅内閣を厳しく批判する社説の筆を執り、総辞職に追い込んだ気骨の新聞人です。
その筆鋒(ひっぽう)は軍部にも向けられます。信毎時代の1933(同8)年8月11日付の評論「関東防空大演習を嗤う」です。
掲載の前々日から行われていた陸軍の防空演習は、敵機を東京上空で迎え撃つことを想定していました。悠々は、すべてを撃ち落とすことはできず、攻撃を免れた敵機が爆弾を投下し、木造家屋が多い東京を「一挙に焦土たらしめるだろう」と指摘します。
「嗤う」との表現が刺激したのか、軍部の怒りや在郷軍人会の新聞不買運動を招き、悠々は信毎を追われますが、悠々の見立ての正しさは、その後、東京をはじめとする主要都市が焦土化した太平洋戦争の惨禍を見れば明らかです。
悠々の評論の核心は、非現実的な想定は無意味なばかりか、有害ですらある、という点にあるのではないでしょうか。
その観点から、国内の各所で行われつつある、北朝鮮の弾道ミサイル発射に備えた住民の避難訓練を見るとどうなるのか。

ミサイルは暴挙だが
まず大前提は、北朝鮮が繰り返すミサイル発射や核実験は、日朝平壌宣言や国連安保理決議などに違反し、アジア・太平洋地域の安全保障上、重大な脅威となる許し難い暴挙だということです。
今、国連を主な舞台にして、北朝鮮に自制を促すさまざまな話し合いが続いています。日本を含む関係各国が「対話と圧力」を駆使して外交努力を惜しんではなりません。軍事的な対応は憎悪が憎悪を呼び、問題の根本的な解決にならないからです。
その上で、北朝鮮のミサイル発射にどう備えるべきなのか。
政府は日本に飛来する可能性があると判断すれば、全国瞬時警報システム(Jアラート)を使って避難を呼び掛けます。8月29日早朝の場合、発射から4分後に北海道から関東信越までの12道県に警報を出しました。
とはいえ、日本の領域内に着弾する場合、発射から数分しかありません。政府は、屋外にいる場合は近くの頑丈な建物や地下への避難を呼び掛けていますが、そうしたものが身近にない地方の都市や町村では、短時間では避難のしようがないのが現実です。
8月の発射でも「どこに逃げるか、どのように身を隠せばいいか。どうしていいか分からない」との声が多く出ています。
住民の避難訓練も同様です。ミサイル発射を想定した国と自治体による合同の避難訓練が今年3月以降、すでに全国の14カ所で行われていますが、専門家からは訓練の想定や有効性を疑問視する声が出ています。
北朝鮮は、在日米軍基地を攻撃目標にしていることを公言していますし、稼働中であるか否かを問わず、原発にミサイルが着弾すれば、放射線被害は甚大です。
しかし、政府は米軍基地や原発、標的となる可能性の高い大都市へのミサイル着弾を想定した住民の避難訓練を行っているわけではありません。有効な避難場所とされる地下シェルターも、ほとんど整備されていないのが現状です。
訓練の想定が現実から遊離するなら、悠々は防空大演習と同様、論難するのではないでしょうか。

原発稼働なぜ止めぬ
戦力不保持の憲法9条改正を政治目標に掲げる安倍首相の政権です。軍備増強と改憲の世論を盛り上げるために、北朝鮮の脅威をことさらあおるようなことがあっては、断じてなりません。
国民の命と暮らしを守るのは政府の役目です。軍事的な脅威をあおるよりも、ミサイル発射や核実験をやめさせるよう外交努力を尽くすのが先決のはずです。そもそもミサイルが現実の脅威なら、なぜ原発を直ちに停止し、原発ゼロに政策転換しないのでしょう。
万が一の事態に備える心構えは必要だとしても、政府の言い分をうのみにせず、自ら考えて行動しなければならない。悠々の残した数々の言説は、今を生きる私たちに呼び掛けているようです。

桐生9秒98 壁を破った快走を称えたい 読売社説

陸上ファンとしては関心の高い事ですが、社説に書く事もないと思います。

日本のスポーツ史に残る快挙である。
陸上の男子100メートルで桐生祥秀選手が、日本人として初めて10秒を切る9秒98を記録した。高い壁を破った走りを称(たた)えたい。
新記録は、福井市で開かれた日本学生対校選手権で生まれた。持ち味の中盤からの加速が際立つ快走でゴールを駆け抜けた。
これまでの日本記録は、伊東浩司選手が1998年に出した10秒00だった。それから19年を経ての悲願達成である。日本の陸上界は、新たな時代に入ったと言える。
桐生選手は2013年4月に10秒01をマークし、9秒台は時間の問題だと期待されてきた。
だが、何度もはね返された。一日でも早く9秒台を出さねばならない、という重圧があったのだろう。「やっと4年間くすぶっていた自己ベストを更新できた」との言葉には感慨がこもっていた。
足踏みを続ける間に、ライバルが台頭した。山県亮太、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウン・ハキーム、多田修平選手らだ。
6月の日本選手権で4位に敗れ、世界選手権では100メートルの出場権を逃す屈辱を味わった。
悔しさをバネに、自分が日本人で最初に10秒を切る、との強い思いが、今回の新記録につながったに違いない。しのぎを削る好敵手の存在がいかに大切か。そのことを実感させられる。
人類が100メートルで9秒台に突入したのは、1968年だ。メキシコ五輪で、米国のジム・ハインズ選手が9秒95をたたき出した。
以来、カール・ルイス選手ら、歴史に名を刻むランナーが、記録を伸ばしてきた。現在の世界記録は、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が2009年の世界選手権でマークした9秒58だ。
9秒台を出した顔ぶれを見ても、米国とジャマイカの選手が多数を占める。そこに日本人選手が割って入った意義は大きい。桐生選手は「世界のスタートラインに立てた」と語った。
9秒98は、昨年のリオデジャネイロ五輪100メートル決勝で、7位に相当する。20年東京五輪での決勝進出も、夢ではあるまい。9秒台をコンスタントに出せるよう、地力の向上が求められる。
他の選手への相乗効果も期待できる。桐生選手に負けまいと、ライバルが奮起する。それが日本短距離界の底上げにつながる。
400メートルリレーで、日本はリオ五輪で銀、先の世界選手権で銅メダルを獲得した。東京五輪での桐生選手らの活躍が楽しみだ。

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