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【17.05.09】 今日の3紙の社説で「安倍改憲」批判

3日の発言と昨日の国会から「9条改憲論の危うさ」、「安倍首相答弁に改めて驚く」、「9条空文化は許されぬ」

【朝日社説】憲法70年 9条改憲論の危うさ 
 
安倍首相が「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べ、9条に自衛隊の存在を明記した条文を追加するなどの改憲構想を示した。
国民の間で定着し、幅広い支持を得ている自衛隊の明文化なら理解が得やすい。首相はそう考えているのかもしれない。
だが首相のこの考えは、平和国家としての日本の形を変えかねない。容認できない。
自衛隊は歴代内閣の憲法解釈で一貫して合憲とされてきた。
9条は1項で戦争放棄をうたい、2項で戦力不保持を定めている。あらゆる武力行使を禁じる文言に見えるが、外部の武力攻撃から国民の生命や自由を守ることは政府の最優先の責務である。そのための必要最小限度の武力行使と実力組織の保有は、9条の例外として許容される――。そう解されてきた。
想定されているのは日本への武力攻撃であり、それに対する個別的自衛権の行使である。ところが安倍政権は2014年、安全保障関連法の制定に向けて、この解釈を閣議決定で変更し、日本の存立が脅かされるなどの場合に、他国への武力攻撃でも許容されるとして集団的自衛権の行使容認に踏み込んだ。
改めるべきは9条ではない。安倍政権による、この一方的な解釈変更の方である。
安倍政権のもとで、自衛隊の任務は「変質」させられた。その自衛隊を9条に明記することでこれを追認し、正当化する狙いがあるのではないか。
自民党は2012年にまとめた改憲草案で2項を削除し、集団的自衛権も含む「自衛権」の明記などを提言した。その底流には、自衛隊を他国並みの軍隊にしたいという意図がある。首相は昨日の国会審議でも、草案を撤回する考えはないとした。
草案に比べれば、首相がいう「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という案は一見、穏当にもみえる。
だが1項、2項のもつ意味と、集団的自衛権の行使に踏み込む自衛隊とは整合しない。日本の平和主義の基盤を揺るがしかねず、新たな人権を加えるような「加憲」とは質が違う。
そもそも憲法改正の発議に向けた議論を担うのは、衆参の憲法審査会だ。その頭越しに行政府の長が改憲項目を指定するのは、与野党協調を重視してきた憲法審の議論を混乱させる。
東京五輪の開かれる2020年と改憲の期限を首相が関連づけたのも、おかしな話だ。自民党総裁3選を視野に、自らの首相在任中に改憲を実現したいと言っているようにしか聞こえない。

【毎日社説】憲法改正提案と森友問題 首相答弁に改めて驚く 
一体、国会は何のためにあると安倍首相は考えているのだろうか。改めて強い疑問を抱かせる衆院予算委員会の集中審議だった。
まず指摘したいのは、憲法改正に対する安倍首相の答弁だ。
首相は先週、9条の1項と2項を維持したうえで「自衛隊を明記した条文を追加する」との考えを提起した。5月3日付の読売新聞朝刊でのインタビューで明らかにし、同日開かれた改憲を求める団体などが主催した集会に寄せた首相のビデオメッセージでも同様に表明したものだ。
議員側が集中審議で、その意図をはじめ、より具体的な条文の中身や考え方を聞くのは当然だ。しかし、首相は、提案は自民党総裁として示したのであり、予算委は首相の立場での答弁に限定すると強調。「総裁としての考えは読売新聞を熟読していただきたい」と突き放した。
今回「2020年に新憲法施行を」とまで明言したのは首相本人だ。ところが国会で質問されると、首相と総裁の立場を使い分け、「後は与野党で」とゲタを預けてしまう。
これではあまりに無責任でご都合主義だ。首相が狙ったという「憲法議論の活性化」も阻むことになる。
大阪市の学校法人「森友学園」問題に関する答弁にも驚いた。
この問題では最近、学園の籠池前理事長が一連の交渉経過について首相の妻・昭恵氏にその都度、報告していたと明らかにしている。自らの進退にも言及した「私も妻も関わっていない」との首相答弁は一段と揺らいでいると言える。
だが民進党議員が「学園と昭恵氏はズブズブの関係だ」と指摘した途端に首相はムキになり、「品の悪い言葉はやめた方がいい」「それが民進党の(低)支持率に表れている」とお門違いの反論をしてみせた。
言葉遣いは確かに悪い。ただし、国民が聞きたいのは、そんな話ではなく真相だ。野党が籠池氏の証言ばかりを流しているというのなら、昭恵氏が記者会見や国会の場できちんと反論するよう首相が促すべきだ。
財務省も結局、手続きは適正だったと繰り返すだけで、野党の要求に応じて提出した資料も黒塗りだらけだった。これで通用すると考えているとしたら、首相と同じく国会、いや国民軽視である。

【中日社説】首相の改憲発言 9条空文化は許されぬ
 
真の狙いはどこにあるのか。安倍首相が憲法9条を改正し、自衛隊の存在を認める条文を加えることに意欲を示したが、戦争放棄と戦力不保持の理念を空文化する改正なら、許してはならない。
首相は日本国憲法施行70年の節目に当たる3日、東京都内で開かれた憲法改正を訴える集会にビデオメッセージを寄せ、「2020年を、新しい憲法が施行される年にしたい」と表明した。
改正項目に挙げたのは現行9条の1、2項を残しつつ、3項を設けて自衛隊の存在を明記すること、高等教育を含む教育無償化を規定することの二点である。
9条に3項を加えるなどの「加憲」案は公明党がかつて理解を示していた主張。教育無償化は日本維新の会の改憲案に盛り込まれており、改憲実現に向けて両党の協力を得る狙いがあるのだろう。
とはいえ、この内容からは憲法を改正しなければ対応できない切迫性は感じられない。
政府は自衛隊について、憲法が保持を禁じる戦力には当たらず、合憲との立場を貫いてきた。
首相は改正を要する理由に憲法学者らによる違憲論を挙げたが、ならば首相もそうした学者らと同様、自衛隊違憲の立場なのか。
自衛隊の存在はすでに、広く国民に認められている。必要がないのに改正に前のめりになるのは、別の狙いがあるからだろうか。
自衛隊の存在を明記するだけと言いながら、集団的自衛権の限定なしの行使を認めたり、武器使用の歯止めをなくすような条文を潜り込ませようとするのなら、断じて認められない。
教育無償化も同様だ。無償化には賛成だが、憲法を改正しなくても、できることは多い。そもそも旧民主党政権が実現した高校授業料の無償化に反対し、所得制限を設けて無償化に背を向けたのは安倍自民党政権ではなかったか。ご都合主義にもほどがある。
憲法は主権者たる国民が権力を律するためにある。改正は、必要性を指摘する声が国民から澎湃(ほうはい)と湧き上がることが前提のはずだ。
首相の発言は国民の代表たる国会で進められている憲法審査会の議論にも水を差す。自民党総裁としての発言だとしても、首相に課せられた憲法尊重、擁護義務に反するのではないか。
そもそも東京五輪が行われる2020年と憲法改正は関係がない。内容は二の次で、自らの在任中の改正実現を優先するのなら「改憲ありき」の批判は免れまい。

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