活動日誌−活動日誌

【15.04.07】 昨日は沖縄問題、今日は教科書検定問題

新基地押しつけは政治の堕落 翁長沖縄県知事の発言

5日に那覇市内で行われた菅官房長官との会談のうち、知事の冒頭発言。(しんぶん赤旗より)

基地負担
 官房長官からもお話がありましたが、沖縄は全国の面積の0・6%に74%の米軍専用施設がおかれ、日本の安全保障を支えてきた自負、無念さがあります。昨年の暮れ、今年の正月、長官はどんなに多忙だったか分かりませんが、こういった形でお話しさせていただきたかった。
 私は日米安保体制の重要性は十二分に理解していますが、たった1県の沖縄に多くの米軍基地を負担させて日本の安全を守るといっても、他国から見たら、その覚悟はどうなのだろうかと思います。
 オスプレイも本土で訓練するという話がありましたが、基地を本土に移すという話がないので、いずれ訓練も沖縄に戻ってくるのではないか。

基地問題の原点
 私は、沖縄県が今日まで自ら基地を提供したことはないのだと強調したい。普天間基地も、それ以外の基地も、全部戦争がおわって、県民を収容所に入れて、そこにいないうちに、あるいはいるところでは「銃剣とブルドーザー」で土地を奪って基地に変わったのです。すべて強制接収されたわけです。
 自ら奪って県民に苦しみを与えておいて、そして普天間基地は世界一危険だから、その危険性除去のために沖縄が負担しろ、おまえたち代替案は持っているのかと。日本の安全保障はどう考えているのか、こういった話をすること自体、日本の政治の堕落ではないのか。日本の国の品格から見ても、世界から見ても、おかしいのではないか。
 一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効でお祝いの式典がありましたが、沖縄にとっては本土から切り離された悲しい日です。万歳三唱を聞いていると、本当に沖縄に対する思いがないのではないかな、と率直に思います。
 沖縄は27年間、日本の独立とひきかえに米国の軍政下に差し出されて、その間、日本は高度経済成長を謳歌しました。官房長官と私は同じ法政大学ですが、私は22歳まで、パスポートを持って、ドルで送金を受けていました。

安倍政権の姿勢
 官房長官が辺野古の埋め立てに関して「粛々」という言葉を何回も使われますが、米軍の軍政下でキャラウェイ高等弁務官が「沖縄の自治は神話だ」と言いました。官房長官から「粛々」という言葉が何度も出てくると、キャラウェイ高等弁務官の姿と重なるような感じがします。
 そして、プライス勧告です。米国は強制接収された土地を、さらに強制買い上げをしようとしました。とても貧しい時期でしたから、県民はのどから手が出るほどお金がほしかったと思いますが、みんなで力をあわせてプライス勧告を阻止しました。ですから、今、私たちの手の中に基地が残っているのです。
 「粛々」という言葉には脅かされない。上から目線で「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心が離れて、怒りは増幅していくでしょう。

辺野古新基地
 私は、辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っています。県民のパワーは、私の誇りと自信、祖先に対する思い、それから将来の子や孫に対する思いが全部重なって、私たち一人ひとりの生きざまになっています。こういう形で「粛々」と進められるのなら、建設するのは絶対に不可能になると思います。
 ラムズフェルド米国防長官(当時)が「普天間は世界一危険」だと発言し、官房長官も国民や県民を洗脳するかのように、「普天間の危険性除去」のために「辺野古が唯一の解決策」だと言っていますが、では、辺野古新基地ができなければ、普天間は固定化されるのか、官房長官にお聞きしたい。

基地負担の軽減
 普天間が返還されて辺野古新基地の面積が3分の1になるという話や、嘉手納基地以南の基地が相当数返されるといいますが、一昨年、当時の小野寺防衛相に聞いたら、沖縄の米軍専用基地が置かれている割合は現在の73・8%から、73・1%にしか変わらないというのです。なぜなら、那覇軍港もキャンプ・キンザーも県内移設だからです。しかも、これら基地は、2025年度や28年度までに返還するとありますが、「又はその後」という条件がついています。これがつけば、返還まで50年ぐらい軽くかかるのではないか。

沖縄の民意
 官房長官から「沖縄の民意にはいろいろある」との発言がありました。しかし、昨年の名護市長選挙、知事選挙、総選挙の争点はただ一つ。仲井真前知事による辺野古の埋め立て承認の是非でした。それ以外、私と前知事に政策的な違いはありませんでした。私が10万票差で当選したのは、もろもろの政策によるものではないのです。

「抑止力」
 沖縄に基地があると、最近はミサイルが発達しているので、1発、2発で危なくなります。こうしたことを考えると、私は米軍も、もう少し遠いところにいきたがっているのに、日本の方が「抑止力」ということで引き止めているのではないか。他方、沖縄の基地はアジアや中東をみすえるところまで使われるのではないかと思いますが、(抑止力に関する)根本的な説明がないと、辺野古新基地は難しい。

首相との面会要請
 今日は官房長官にお話しさせていただきましたが、安倍総理との面談の手配もお願いしたいと思います。
 (菅長官は)基地負担軽減相でありますので、辺野古新基地の建設を中止しながら、しっかりと基地問題を解決していただきたいと思っております。

教科書検定について、3紙の社説より

1、朝日新聞社説 検定発表―教科書はだれのものか
 
教科書は、国の広報誌であってはならない。
来春から中学校で使う教科書の検定結果が発表された。
文部科学省は今回の検定から新しいルールを用いた。
教科書編集の指針を見直し、領土問題について日本政府の考え方を書くよう求めた。
検定基準も、慰安婦や戦後補償など政府見解がある事柄はそれに基づいて記すよう改めた。自民党の意向に沿ったものだ。
これまでの検定は、教科書会社が書いてきた記述を前提に判断する姿勢だった。それを具体的に書かせる方向に転換した。
結果はどうだったか。
領土問題は、社会科の全社が扱った。「日本固有の領土」「竹島を韓国が不法に占拠している」など編集の指針をなぞる社が多い。相手国の主張や根拠まで扱った本はほとんどない。
これでは、なぜ争っているか生徒にはわからない。双方の言い分を知らなくては、中韓やロシアとの間で何が解決に必要かを考えるのは難しいだろう。
文科省は答えが一つでない問いについて、多様な人々と話し合いながら解決の道を探る力を育てようとしている。その方向とも相いれない。
社会科の教科書は、国が自分の言い分を正解として教え込む道具ではない。
子どもが今の社会や過去の歴史、国内外の動きを理解するのを助けるためにある。
政府の見解を知っておくことは悪いことではない。ただ、それは一つの素材に過ぎない。
例えば戦後補償問題の場合。戦争で被害を受けた人々の証言、彼らの生きた戦後、中韓や欧米、国連の動きも併せて紹介し子どもが考える。そんな教科書が求められるのではないか。
どんな教科書をつくるかは、出版社が判断することだ。国の検定は控えめにすべきである。
政府見解は絶対的なものではない。時の政権で揺れ動く。
検定でそれを書くよう強いれば、合格がかかるだけに教科書会社や執筆者は萎縮し、政府の主張ばかり記すようになる。
教育内容が国に左右される危うさを、この社会は先の大戦で痛感したのではなかったか。
教科書を選ぶ作業が、これから各自治体で始まる。
今月から、自治体の長が設ける「総合教育会議」の制度が始まった。首長の教育への関与を強める狙いだ。
だが、教科書採択はあくまで教育委員会の権限である。
我が街の子どもに、どの教科書がふさわしいか。教委は教育の視点でこそ選んでほしい。


2、中日新聞社説 中学教科書検定「なぜ」考えさせる授業に

来春から中学校で使われる社会科教科書は、日本の領土に関する記述が豊富になる。安倍政権の意向が反映された形だ。中身をうのみにさせるのではなく、なぜなのかを考えさせる授業が大切だ。
文部科学省は一年前、社会科教科書の検定基準を見直した。例えば、近現代史では政府の統一見解や最高裁の判例があれば、それに基づいて記述するとした。
教科書作りの指針となる中学校と高校の学習指導要領の解説書も改めた。地理や歴史、公民の分野で、北方領土のみならず、竹島と尖閣諸島を「固有の領土」などと明記するよう求めた。
日本を悪者扱いばかりする。国益を損ないかねない。そうした偏った見方を排し、愛国心を養うといった教育基本法の目標にかなう教科書にそろえる狙いからだ。
合格しないと日の目を見ないから教科書会社は従うほかない。竹島と尖閣諸島の領有権を取り上げたのは三分野の全十八点に上り、日本編入の経緯も記された。
バランスの取れた教科書に仕上がったといえるのだろうか。教科書会社の考え方によって扱い方の大小に差が出るのは当然としても、気がかりなのは中身だ。
日本の立場については、竹島は「韓国が不法占拠している」、尖閣諸島は「領有権の問題は存在していない」などと横並びの表現をしている。外務省のホームページを参照したケースも多いという。
ところが、韓国や中国の主張も、対立の歴史的背景も見当たらない。これでは子どもたちに政府見解ばかりが刷り込まれ、敵対心をあおりかねない。なぜ問題になっているのかという素朴な疑問を素通りしては教育とはいえまい。
竹島について韓国は「朝鮮の古い文献や地図に載っている」、中国は尖閣諸島をめぐり「日本が日清戦争を通じてかすめ取った」などと反論している。先生は授業で取り上げ、子どもたちと共に調べ、議論する工夫が欠かせない。
歴史では、新規参入の教科書会社が初めて一九九三年の河野談話を載せた。自虐史観批判を受けて、十年前に教科書から消えた慰安婦問題が再び登場した。
無論、軍や官憲による強制連行を示す資料は発見されていないとする政府見解も、併せて紹介している。検定の決まりを守れば、題材選びは自由と心得たい。
重要なのは、子どもたちに正確な素材を多く与え、考える機会をつくり出すことだ。大人の萎縮は教育の放棄につながりかねない。


3、毎日新聞社説 教科書検定 創意工夫の道、より広く
 
来春から中学校で使われる教科書の検定結果が出た。全教科で104点が合格した。
文部科学省は先に、学習指導要領の解説や検定基準を改定。社会科の領土に関する内容をより詳細にすることや、近現代史で政府の統一的見解があれば、これに基づいた記述をするよう事実上指示した。
今回は、その条件が適用された最初の検定になったが、教科書はそれを反映し、特に日本の領土に関する記述は大幅に増えた。
部分的にだが、それは「国定教科書」的性格を帯びたといえないだろうか。一律内容の教育への反省から、敗戦後に国定制は廃止された。複数の民間出版社がそれぞれに工夫する現行の検定制では、限定部分にせよ、一律の方向づけには、できるだけ抑制的であるべきではないか。
領土問題にしても、いわば政府公認の記述を、生徒に暗記させるのが教育の目的ではないはずだ。
例えば、古今東西の地理や歴史に深く関わってきた「領土」というものについての理解や見方を広げる学習も大切だ。先生の工夫がカギになるだろう。時間が必要だ。
全体に新しい流れも見られる。
今回、教科書はより分厚く、色彩がより豊かになった。図版も多く使い、本も大きくなる傾向にある。親しみやすくと、人気キャラクターなども多く登場する。
内容についても、近年、国際学力テストなどで課題が指摘される「活用力」や討論の仕方など言語活動学習に力を入れる。あるいは、同じ日の新聞の読み比べで、多様な価値判断があることを学ぶものもある。
「グローバル化時代の人材」の育成が目標に据えられている。
現在、文科相の諮問を受けて中央教育審議会が審議する次の新たな学習指導要領は、知識の一方的伝授ではなく、問題を自ら見つけ、双方向の討議などを通じて協力もしながら解決を図る「アクティブ・ラーニング」への転換を目指す。
これからの動きは急だ。
「何を教えるか」から「どう学ぶ力を育成するか」。教科書の内容も従来の概念にはない創意工夫が求められる。文科省はこれと呼応するように、現在の学校教育に強い影響を与えている知識テスト頼りの大学入試を抜本的に改めるという。教科横断型の総合的なテストも検討されており、暗記型は通用しない。
小中一貫校など新しいタイプの学校に即した教科書も課題だろう。
仮に、教科書づくりが政権や文科省の意向を過度にそんたくしながらであったら、まったく創造的なものを生み出すことは難しい。創意工夫の道は広くありたい。

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