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【14.03.31】 自然科学を志す人たち

人類と科学への情熱、2014年3月30日、中日新聞【社説】

 新入生、新入社員の皆さん、スタートの春です。夢にさぞ胸膨らむことでしょう。とりわけ自然科学を志す人たちには、情熱を思い切り燃やしてほしい。
 自然科学を志す人たちには…、と、いうのは、STAP細胞をめぐる論文不正に内外が大きく揺れたばかりだからです。若い人たちに、「科学とは何か」をもう一度考えてほしいと思ったからです。
科学的思考とは、古代ギリシャ(アテネ)あたりに始まるのでしょうか。この世界は一体何からできているのか。土、水、空気、火の四元素というのが当時の答えでした。ばかばかしいようですが、笑ってはいけません。考えること、探究心こそが今に至る人類の力の源なのです。

◆16歳のアインシュタイン
 1905年、26歳の青年アインシュタインは物理学史を塗り替える特殊相対性理論をドイツの物理学年報に発表します。工科大学では講義に飽き足らず欠席しがち。教授の信頼が得られず、研究室に残れなくなってスイスの特許局の技師に就職したころです。
 自伝ノートによれば、彼は16歳の時、光の矢を光の速さで追いかけたら、光の波は止まって見えるのか、いやそんなはずはない、と自問したそうです。以来長い思考の論理的帰結として光速度不変の原理、相対論は出てきました。だれも思い付かなかった論文は、むろん引用文献なしでした。
 大学との関係はどうあれ、探究心を燃やし続けていた。そういう情熱は、だれもがもちうるもの、つまり人間の本能のようなものではないでしょうか。学問の世界とは、そういうものでしょう。
 はた目には怠け者にみえる学生にせよ、それはじつは権威主義を嫌ったらしいのですが、論理に誤りがないのなら正しいのかもしれない。たとえ当時自然界を完璧かつ美しく説明していたニュートン力学を超えてしまおうとも。

◆一人の英知は万人へ
 発見にはプライオリティー、先取権とでも呼ぶべき名誉、栄光が伴います。未踏の高峰への初登頂にも似ていますが、一人の英知が万人の知恵となる人類への貢献でもあります。
 先陣争いで知られるものの一つに、微積分法をめぐる英国のニュートンと、ドイツの数学者ライプニッツの対決があります。ニュートンは17世紀半ば、ペストで大学が閉鎖され故郷に戻っていたころ、微積分法を着想し論文も書いたが、仲間内の回覧にとどまっていた。その少し後、ライプニッツは独自に発見し、論文として発表しました。のちにライプニッツはプロイセン科学アカデミー院長、ニュートンはロンドン王立協会の会長となり、国の威信もかかって、結局決着はつきかねたのですが、二人の功績は今に続く数学のまさに基礎となっています。
 “初登頂”は二人いたということでしょうか。ニュートンの代表的力学書「プリンキピア」の初版は同じ発見者としてライプニッツの名も記していました。
 先取権でいえば、エンドウを使って遺伝法則を見つけたオーストリアの修道院僧メンデルが「植物の雑種に関する実験」と題する発表を行ったのは、1865年でした。小さな研究会での発表論文は長く埋もれたままでしたが、1900年に日の目を見る。同じ法則をオランダやドイツの学者らが見つけ、念のため過去の論文を調べたらメンデルの先行が判明したのです。残念ながらメンデルは亡くなっていました。
 人は死すとも、その情熱は死なず。しかも先人の情熱が積み重なった上に、次の情熱は生まれるのです。ニュートンの言葉を借りれば、私たちは「巨人の肩の上に乗っている」のです。科学とは人類史の蓄積にほかなりません。自然科学のみならず、政治、経済、文学などの人文科学ももちろん先哲たちの情熱のたまものに違いありません。

◆堕落しないためには
 研究には競争が、また人間ですから欲望もあるでしょう。
 そこでアインシュタインはこんなふうに言います。「人間が世間から称賛されるため自らが堕落することを防ぐ道はただ一つ、それは働くことだ」ひたすら研究に打ち込め、真理を探す情熱を持ち続けよ、というのです。その確信の裏側には自然は決して裏切らないという信念があります。真理はわが手中でなく、自然界の中にあるのです。

 新入生、また新入研究者の皆さん。あなた方は疑いもなく先人たちの大きな肩の上に乗っているのです。それに恥じぬよう、自然のまだ見せぬ真理を見つけてください。情熱は必ず燃え上がってきます。なぜなら、人間とはそもそもそういう存在なのですから。

科学への心、素晴らしい内容だ。

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